≪あの東日本大震災から5年がたちました、被災地の現状はどうなっているのか??・・・≫
3月に入ったらこのような報道特別番組のCMをよく耳にします。
そうか、あの日から5年もたったのか・・・
それもそのはず
震災当時、小学1年生だった息子は再来週小学校を卒業します。
高台にある息子の小学校まで津波は押し寄せ
それよりさらに高台の丘に避難した全校児童
1カ所にかたまり身を寄せ合い
非情にも降り出した雪よけにブルーシートを被り
その中心に1年生は集められました。
寒くないように
怖くないように
津波を見ないように
高学年の子の輪に守られていました。
翌日昼過ぎに給食室からやっと配られた配給の列も
1年生は保育所の子の次に並ばされ
高学年の子よりおかずが1~2個多かったそうです。
二つ年上の姉は
「私の3人前まで卵焼きあったんだけど、無くなって私はもらえなかったの」
後になって話してくれました。
そんな姉も今や中学2年生。
2年生になってからは、体調を崩し学校を休みがちになってしまいました。
不登校となり、3学期は1日しか登校できていません。
「女川に行きたい」
震災後、被災した女川から内地の石巻へ転校した姉弟
5年も過ぎたのに
たまにぽつりとつぶやきます。
昨日も聞きました。
ハッとします。
心がキュっと硬くなります。
5年過ぎても言えるのは
やはり生まれ育った場所が大好きだってこと。
壊滅したって
土がダンプで何台も何台も運ばれ
造成されまくって
どこがどこだったか判らなくなってしまっても
海辺の小さな港町が忘れられないってこと。
新しい商店街がオープンしたからって喜んで駆けつけても
どこか違う場所に来たみたいで「イヅい」ってこと。
これから何年、何十年過ぎようとも
「震災」というチャンネルに
自分の心の周波数をふと合わせると
一瞬で涙があふれてくる。
山は削り取られ
駅を中心に真新しい街並みが増えていって
行くたびに、行くたびに
景色はまったく違うものに生まれ変わっていく。
女川の景色
変わらないのは女川湾の波の輝きだけなのか。
5年過ぎて
変わったもの・変わらないもの