テロが発生した現場には、多くの花が手向けれキャンドルが灯される。人々は深い祈りの中にいるようだ。しかし、15日の追悼式典では発砲があったという虚偽情報で人々が逃げ惑うパニックも発生したという。
スタジアムやコンサートホール、レストランといった場所で発生した一般人に対する殺戮がこれからどんな未来を引き寄せることになるのか。
オランド大統領は「前例のないテロだ」と犯人を非難するとともに非常事態を宣言。米英首脳はフランス支持を表明。オバマ大統領はG20の会見で、ISへの対立姿勢を全面的に強化すると述べた。オランド大統領はベルサイユ宮殿に上下両院の全議員を集めIS打倒を宣言した。
エッフェル塔が、ブランデンブルク門が、コルコバードのキリスト像が、シドニーのオペラハウスが、東京タワーが、スカイツリーが赤白青のトリコロールにライトアップされた。世界が対テロで結束しようとしているかのようにも見える。しかし――。
東京新聞の16日の社説「週のはじめに考える 9・11からパリ・テロへ」は、世界が単純な二元論でできているものではないことを教えてくれる。その書き出しはこうだ。
パリで起きた大規模なテロを知り、十四年前のアメリカの9・11テロを思い出した人もいるでしょう。世界は何をし、また何をし損なってきたのか。
アメリカ同時多発テロからの14年間、世界が犯してきた過ちを振り返ることが宣言されている。記事は続く。かなりショッキングな内容だ。
9・11テロのあった日、アラブ・イスラム世界の一大中心都市エジプトのカイロはどうだったか。
電話で中産階級の知人に聞くとこうでした。
<街路は喜びにわいている。アメリカに一撃をくれてやったということだ。アメリカはイスラエルを助けパレスチナ人を苦しめている。鬱憤(うっぷん)が晴れたということさ>
記者はテロを容認するスタンスには立っていない。それは、「欧米で憎まれるテロは、世界を異にすれば聖戦という美名で呼ばれることは、それが間違っていようがいまいが、動かせぬ事実でもあるのです。(同記事)」という言葉に明確に示されている。
「動かせぬ事実」を踏まえた上で、過去と未来を考える。このスタンスは「テロ打倒」とのみ声高に叫ぶ政治家たちとは明らかに一線を画している。記事は次のように締めくくられている。ぜひ読んでいただきたい。
おおげさにいえば、世界史の中で今私たちは試されているのです。
殺人を憎むのは当然のことだが、報復の連鎖から何も生まれないという事実を忘れてはならない。その意味で、<「地獄からの出口」が見えない>と訴える笠原敏彦氏の現代ビジネスの記事、同時多発テロとkamikaze、そしてテルアビブ空港乱射事件をつないで論考するdragoner氏の記事も確認しておきたい。
さらにもうひとつ。日本ではパリの同時多発テロばかりが取り上げられているが、12日にはレバノンの首都ベイルートで、13日にはイラクのバグダッドでも無差別テロが起きた。いずれもISが犯行声明を出している。パリだけではない。ベイルート、バグダッド、そして混乱と生命の危機に晒されている現地の人たちすべてが被害を受けているという認識がいまこそ必要だ。
日本の大手メディアが積極的に報道しないのなら、海外メディアやブログを読みあさってでも、できるだけ幅広い情報を掘り起こさなければならないだろう。
でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。 全世界が貴女 (パリ) の味方になってくれるのを、ただただ うらやましく思います。 ShahadBallan