今ここからの手紙(2015年11月14日)人はなぜテロリストになれるのか

朝からフランスのテロのニュースが繰り返されている。犠牲者の数がだんだん増えていく。少しずつニュース原稿の内容は更新されてはいるものの、原因についての言及はいまの時点ではまだない。

日本の、鹿児島県の南西の海で今朝起きた地震が、鹿児島県の西岸にあって再稼働したばかりの原発にどんな影響を及ぼすのか、そんな不安など吹き飛ばすほどの勢いで、テロのニュースが繰り返されている。この国の公共放送では「スタジアムでの爆発の際、神は偉大なりとアラビア語で叫ぶ声を聞いた」という目撃証言を伝える原稿が何度も読み上げられている。

ちょうど、1987年11月29日に起きた「大韓航空機爆破事件」について何か書くように依頼されていたので、「人はなぜテロリストになるのか」というテーマで記事を考えていたところだった。人が人を殺すことをどうして正当化できるのかということを考えている最中のパリでのテロだった。

途中経過としての考えをここに記すなら、攻撃を受けた側がいかにテロリズムだと強く非難しようとも、攻撃した側にとってはそれは聖戦ということ、そこに問題の根源があるように思う。互いに攻撃し合うもの同士の間にある断絶、深い溝について考えざるを得ない。方や非道の行為と非難する。他方は聖なる戦いだと主張する。際限のない報復と破壊が続く。両者が断絶を越えて握手や抱擁することを可能にするにはどうすればいいのか。そして問題はテロリストとフランスという対立軸を越えて、もっと「グローバル」に広がっている。「報復の連鎖」という言葉もニュースの解説ではしばしば登場するが、果たしてそんな言葉だけで説明できるようなものなだろうか。俺は疑問に思う。

現時点で、あまりにも情報が限られているとはいえ、テロ(仮に双方にとっての呼び方が違っていたとしても)が殺人であることに変わりはない。

殺人とは、人間が人間を殺すことだ。

殺人を推奨する国など、おそらくないはずだ。国家という虚構を踏まえて考えるまでもなく、ひとりの人間として殺人を是とする人はおそらくほとんどいないだろう。今も存在し続けている世界の宗教の中で、人殺しを認めているものなどひとつもない。イスラムのコーランの教えでは、1人を殺すことはすべてを殺すことと同じだと説かれているとも聞く。ところが、国という縄張りの下(もと)では、殺人・惨殺・虐殺が縄張りの外側である他国の人たちに対して、あるいはしばしば縄張りの内側である自国の人たちに対しても行なわれてきた歴史がある。そのことをどう理解したらいいのだろう。

仮にそうすることが国家を守るために必要だったと仮定しても、第二次世界大戦前にソ連で行なわれたスターリンによる大粛正では、将軍や軍人はじめ多くの人を殺し過ぎたせいで、独ソ戦の初期には、ドイツ軍に対抗することは正規軍ですら困難を来すほどだったという。軍隊を動かすべき軍人が粛正で殺されていたからだ。殺戮になんの意味があったのだろう。カンボジアのポルポト政権による国内での大虐殺も同様だ。知識人のみならず国民の数分の1(その人数は永遠に不明だろう)を殺戮したため、他国の侵入に対して防戦することすらできなかったという。そんな殺戮にどんな意味があったのだろう。大東亜共栄圏というコンセプトを掲げ、ヨーロッパ諸国によるアジアの植民地を解放しようという名目で行なわれた戦争で、日本軍がアジアの人々に行なったことも同じことだ。理念上は兄弟だ、家族だとしたアジアの人々に対して、たとえば、新兵に度胸をつけさせるために捕虜を銃剣で刺し殺させるなどということを繰り返したわけだ。南京大虐殺を犠牲者の数の問題にすり替えようという動きが繰り返されているが、そんな矮小化を目論む議論以前に、南京のみならず、日本軍がアジアの占領地で非道の限りを尽くしてきたことは紛れもない事実だ。西欧列強に対抗してアジアの連携を実現しようという麗しき看板を掲げつつ、連携し兄弟として共栄していくはずだった人々の少なからずを惨殺し、多くを苦境に陥れたわけだから、親殺し、家族殺し、国民殺しの誹りを免れることではない。そんな殺戮になんの意味があったのだろう。

民族浄化を掲げて虐殺を行なったナチスと比しても、共存共栄という美名のもとで虐殺を行なった国の罪は、その国が美徳としてきたものに照らし合わせればなおのこと、さらに残虐なものだったと言わざるをえない。

そんなことがなぜ繰り返されるのだろう。

説明としてずっと言われてきたのは、経済格差、イデオロギー、そして差別。

そんな、背景にあったかもしれないようなぼんやりした抽象的な言葉でではなく、自己保身、熱狂による盲目、被差別者を抹殺することで自分の属するチームから賞賛されたい欲望、あるいは純粋な欲求とでも言った方がより人間的な理解なのではないか。

悔恨の上に、どうにかしなければという切実なものを思い起こさせたのではないか。

たとえば、近代日本が行なった過去の戦争の責任は、当時の指導層だけにあったわけではない。兵隊として戦地に赴いた1人ひとりの中に少なからずあった。国内で戦争を支えた庶民にもあったと考えざるをえないだろう。戦争に反対する声が大勢を占めていれば戦争が断行されることはないだろうからだ。少なくとも継続されることはなかっただろう。ヒトラーなみの独裁者だったトージョーが戦争を指導したのではないと思う。たとえ心の奥底で「戦争はいやだ」と思っていても、結果としては個々の日本人が唯々諾々と戦争遂行を支えていたと考えざるをえない。

それが東京裁判で、まるで戦犯として処刑された人たちにだけ戦争の責任があったかのような空気が広まった。戦時中のいやなことなど早く忘れたかっただろう。そんな人々に対して東京裁判は結果的に免罪符を与えてしまった。「自虐史観だ」と一部の人たちに誹られる歴史認識にしてみても、批判される側の主張は、安全地帯に避難した上で繰り延べられてきたことのようにも見える。

話が拡散してしまった感もあるが、つながってはいる。しかし、本稿のテーマはパリでのテロ事件を受けて「人はなぜテロリストになれるのか」ということだった。テロリストとは、自らの主張をもって他人を殺害することを躊躇しないばかりか、現に行動に移す人たちのことだ。とても政治的な問題である反面、政治的とはいい切れない、人間性の問題でもある。政治的な鎧を1枚1枚外し、武器を置いて、それでも1人の人間として殺人ができるのか、殺人が可能か話し合う場を設けなければならない。

市民が投稿したというFacebookの動画には、フランスの国歌「La Marseillaise」を歌いながらスタジアムの回廊を歩いて避難している人たちの映像も映し出されていた。おぞましいテロ攻撃にさらされながらも、非常口へ殺到することなく、粛々と避難して行く映像は「美談」のようにも見えた。それがとても素晴らしいことだと思えた反面、避難して行く人たちの中にアラブ系につながる人たちがいたら、どんな思いだっただろうかと考えずにはいられなかった。

複雑な気持ちだった。フランスという国はずっと昔から地中海沿岸のアフリカの国々とは深い関係を持ち続けて来た。たとえばモロッコという国名が1930年に作られたアメリカのラブロマンス映画のタイトル「モロッコ」と同じだという一事をとっても、この国とアラブ諸国の関わりが想像できるだろう。80年代フレンチロックの旗手として世界中で人気を得て、日本でもトヨタ自動車MR-2のCMソングに使われたSAPHO(サッフォー)もアラブの伝統を受け継ぐ人だった。

しばらく彼女の歌声に接することはなかったが、ネット動画のおかげで、彼女の昔の歌声を聴くことも(違法性はあるかもしれないが)可能になった。ふと思うのは、たとえ面識がなくても、その人の声を聞き、いいなあと思うことで、その人の背景を含めて理解が少しは進むということだ。

このテロの犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を申し上げる。そして同時に、これが対立を先鋭化させる方向へ歴史を向かわせる出来事にならないことを祈る。

グループ分けやチーム分けは対抗につながる。対立が区別を生むのかもしれないが、おそらくニワトリかタマゴかのような話だろう。区別が対立を生むのもまた間違いない。ただ、人間は何かと何かを区別することで世界を理解しようと進化してきた動物であることも間違いない。分けることではない関わりをなんとかして作っていきたいと、俺はいま思っている。