町のあちこちに――というと誇大表現になってしまいますが、楽寿園という公園にある湧水の池「小浜池」の水位が復活しているという張り紙を、三島の町中の何カ所かで見かけます。楽寿園は明治時代に宮様が別邸を構えたところで、現在は建物と庭をふくめて三島市の公園になっていて、休日には家族連れの憩いの場となっています。お昼休みにも近くのオフィスからたくさんの人がやってくる、まさに町のオアシス。
日本庭園に湧き出す富士山の湧水を湛える小浜池(オバマイケ)は、「せせらぎの町・三島」の象徴みたいな存在です。
そういえば、こちらの地方に転居してきたばかりの頃、街歩きボランティアさんが、小浜池の水が枯れたことを嘆いていたのを思い出します。町中を流れる清流・源兵衛川の水源でもあるこの池が枯れることは、三島が三島でなくなってしまうような感じを持たれていたのかもしれません。そうとも知らぬ流入者のワタクシは、風流なお屋敷の前の日本庭園に、まるで火星か月面を思わせるゴロ石だらけの光景が広がるのを見て、それはそれでシュールで面白いと感じたりしていたのでした(ごめんなさい)。
町の数カ所に貼りだされた案内によると、小浜池は昭和37年に水位ゼロを記録してから渇水状態のことが多くなり、平成23年に数年ぶりに満水になった後には、また水位が上がらない状態が続いていたのだとか。紆余曲折、艱難辛苦の半世紀だったのです。そういえば、小浜池の近くにある鏡池という湧水も、ずっと枯れていたのが東日本大震災後、一時的に湧き水が戻ったものの、その後また枯れた状態が続いていました。東洋一の湧水として知られるお隣・清水町の柿田川湧水群も、かつてに比べて湧き出る水の量が半減に近いほど減っていると聞きます。
清らかな水が帰ってきてくれたことは、町の人たちにとってきっと喜ばしいことなのでしょう。……富士山に異変があるんじゃないかと危惧する声もありますが……
というわけで、とある昼下がり、久しぶりにお弁当持って楽寿園に行ってきました。
商工会議所の前にも、公園の入り口にも「楽寿園の小浜池の水位」が記されています。やっぱり町の人たちの誇りなんですね。
公園の奥にはいくつかの池があって、鯉が泳いでる池、湧き水の清流がまるで沢のように流れる池、建物正面に広がる大きな小浜池など景色も多彩。まさに日本庭園の粋・回遊式庭園といった感じです。自分のような不調法者でも、庭園を歩いているとなんだかしっとりと落ち着いた爽やかな心持ちになってくるから不思議です。
だけど、かつて池が火星が月面みたいだった頃の名残もありました。池の底に生えてここまで育ってきたドングリの木が立ち枯れた姿です。たぶん水に浸かってしまったせいでしょう。この木がここまで育つくらいの時間、小浜池にはほとんど水がなかったということなのでしょうか。
池の底が露出しているところもありました。遊歩道を歩く親子連れが「こないだはもっと水がいっぱいだったのよ」「あら、でも干からびていた頃からすれば見違えるじゃない」なんて話しながら通り過ぎていきます。やっぱり好きなんですね、楽寿園や小浜池のことが。
とても町中にあるとは思えない、しっとりとした和の趣のある楽寿園ですが、園内には庭園の他にも見どころがあります。たとえばこの溶岩。
縄のような模様がついているから「縄状溶岩」と呼ばれますが、ハワイのキラウエア火山やマウナケア火山でよく見られる溶岩です。とろとろに溶けた溶岩が流れながら固まる時に、表面張力の力でこのような形になるのだと説明されます。しかし、ここは富士山の火口からは遠く離れた三島市のど真ん中。それも、三島溶岩流の終点近くとされる場所。それが証拠に、盛り上がった溶岩塚もすぐ隣には見られるのです。
富士山の火口から流れだした溶岩が、三島までの長旅の途中に表面だけは固まっても、その中のトンネルのような空間をとろとろと流れ続け、終着点に到着した時に、何かの拍子にトンネルの殻が破れて、そこから半熟卵の黄身みたいに流れだしたものが縄状溶岩になった? もしかしたら、そういうことなのかもしれません。近くには溶岩丘や溶岩塚、さらには溶岩トンネルのジオポイントもありますから。
日本庭園を潤す小浜池も、木々の間から降り注ぐ木漏れ日も、さらにはジオな魅力もいっぱいの楽寿園。チャンスがあればぜひどうぞ。