9月11日の同時多発テロ後、いまも続く今日という日

あれから14年になることが信じられないほど、当時のことは鮮明に覚えています。

2001年9月11日現地時間午前8時46分、ハイジャックされた4機の旅客機のうち最初の1機がワールドトレードセンター(WTC)の北棟に、その後さらに1機が南棟に、1機が米国防総省ペンタゴンに突入、そしてもう1機がペンシルバニア州に墜落するテロ事件が発生しました。

しかし、それがテロであることや、4機目の機内で乗客とハイジャック犯との間の闘いがあったらしいことなどを知ったのは少し後のことです。

その出来事は突然、こんな形でやってきました。

2001年9月11日、日本時間午後10時過ぎ。テレビの映像が切り替わり、そこには燃え上がるワールドトレードセンター(WTC)が映し出されていました。旅客機がビルに突入する映像が何度も繰り返し放送されました。

この事件の直後には情報が錯綜していました。インターネットでも情報がたくさん出てきました。日本人で犠牲になった人のご家族の記事が写真週刊誌に載ったりしました。

とにかく悲惨な記事が多かったのを覚えています。最初の旅客機がビルに突入した直後には、すでにビルの周辺にガレキや書類(WTCの多くのフロアはオフィスとして使われていました)が散乱する中に、人々の遺体の一部があったとそうです。このことの意味をリアルに想像する強さを自分は持っていません。

火災が広がっていく中で、多くの人がビルから飛び降りたことも知られています。助かる見込みのない高層ビルから飛び降りるほかなかった人たちの心中にはどんな思いがあったのでしょうか。

そして、ビルそのものが重力のままに崩れ落ちていくかのような崩壊。そこにいた人たちがどうなったのか。

アメリカ同時多発テロには多くの謎があるとも言われます。真相が明らかにされるまでには長い時間が必要かもしれません。しかし、ひとつ言えること、それはあの出来事がどんなに言葉を重ねても表現することが出来ないほど残酷で悲惨で無慈悲なものだったということです。

しかし、それでも同時に心しておかなければならない大切なことがあります。

それは、私たちが目にしたのはテレビの中の出来事だったということです。何千人もの人が亡くなる大惨事であっても、犠牲者と関わりのない多くの人々が経験したのは、映像としての出来事だったのです。しかも安全地帯からの映像です。これは残念なことながら揺らぐことのない現実でしょう。新しい世紀が始まったばかりの2001に発生した恐ろしい映像を前に、さらなる恐怖が連鎖していくことを想像し、私たちはただ漠然とした不安を抱いていたのです。

出来事はあっという間にテロと判明し、たちまち対テロ戦争が始まります。ちなみに、「対テロ戦争」は固有名詞です。アメリカと有志連合による軍事作戦や金融経済分野も含む広範囲な戦いで、同時多発テロが発生した2001年に始まり、今日も継続している戦争です。テロの首謀者を追い詰めるために始まったアフガニスタン紛争、大量破壊兵器を隠匿しているとして始まったイラク侵攻、いまも繰り返されるテロ事件。あの日以来、世界は歴史の歯車を大きく回してしまったのです。

同時代の出来事として見てきた私たちがどのように意識しているかには関わりなく、世界は戦争のただ中にあります。そして、私たちはいまもその戦争が、テレビやインターネットの映像の世界にあるものと意識しているのです。

さらに陰惨なことがあります。実際の戦闘で殺し殺される行為との遠い距離感は、戦闘の当事者にも適用されていることです。映像の中をピンポイントで誘導され音もなく炸裂する爆弾やミサイル。無人機による人間への攻撃。ヘリコプターから地上の民衆を銃撃する映像……。そこには私たちと同じ一般人が抹殺されていく様子が映し出されているのかもしれないのです。

あの日、WTCの周辺にあった恐ろしい現実、人間がその人の人となりや個性、意志や思いとは一切関わりなく、想像を絶するほど惨忍な方法で殺戮されていくのと同様の世界を、私たちはあの日以来生きているのです。その現実がテレビ映像の向こうにあるので、私たちは自分がいる場所が安全だと思っているだけなのです。

なぜこんな出来事が起きるのか。テロであれ対テロ戦争であれ、誰が何のためにこのような行為にゴーサインを出すのか。人間性のかけらがあれば、そして起こる出来事の結末を想像することができたならば、決してこのようなことは起こり得ないはずだと信じたい――。なぜなら、私たちは人間らしさを忘れたわけではないからです。

9月11日、この日は私たちひとりひとりが問われている日。直視されている日です。未来の私たちから、そして未来のこどもたちから。