駿河湾の奥深く、内浦の入り江に突き出すようにある岬に戦国時代の城跡があります。長浜城跡です。先日、平成7年度から始まった復元作業が完了し、史跡公園としてオープンしたというので早速見に行ってきました。
長浜城の歴史について
静岡県沼津市の内浦重須地区にある長浜城は全国的にも珍しい山城の特徴を持つ水軍城です。およそ150m×100mのL字型をした城跡には4つの曲輪(くるわ)(※)と15の腰曲輪、そして土塁や掘などがあったと考えられています。
発掘調査によると15世紀後半から使われ始めたそうですが、本格的な水軍城として整備したのは1579年、後北条氏(※以降北条氏と記載)でした。
きっかけは当時、敵対をしていた武田氏が狩野川河口、現在のJR沼津駅南口付近に三枚橋城を築いたことによります。北条氏は伊豆地域の拠点としていた韮山城が海から侵攻されるのを恐れ、この地にあった長浜城を整備し、水軍を置いたと言われています。
三方を海に囲まれ沖に淡島がある長浜城は守りやすい上に、付近の水深が深かかったことから戦国時代の大型軍船、安宅船(あたけぶね)の停泊にも適していました。
整備された翌1580年、武田氏が長浜城付近まで攻め込んできて海戦があったとされています。勝敗は信憑性のある文章が残っていないために定かではありません。
そんな長浜城ですが1590年、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡すると廃城となってしまいました。
※曲輪:城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲い。また、その内側の地域。(出典:goo辞書)
復元整備が完了した長浜城を歩く
長浜城跡の入口は東西にそれぞれ1ヵ所ずつあります。東側には駐車場があり、こちらから歩き始めるのが一般的のようです。
東側の登り口には階段が2つあります。恐らく写真左が以前からあったもので、右側が新しく造られたものだと思います。
私は雰囲気のある左側の階段(※鳥居がある方)から登りました。2つの階段は20~30mほど登ったところで合流します。
登って行くとまず最初に現れるのが第四曲輪です。敷地に対して土塁の占める面積の割合が他よりも大きいことから、より防御に重点が置かれたと考えられています。
長浜城で最も広い第二曲輪です。ここには復元された櫓(やぐら)もあります。第二曲輪からは内浦湾や沼津、そして天気が良ければ富士山も見ることができます。
第二曲輪に復元された櫓です。
長辺4.6メートル、短辺4.3メートルの半地下式の構造です。見張り台の役割と第一曲輪と第二曲輪を連結する登り口の役割の両方を兼ね備えていたと推測されており、城のなかでもとりわけ重要で象徴的な意味を持つ建物であった考えられています。
長浜城から武田氏の三枚橋城までは直線距離で約10kmほど。櫓からの眺めはよく湾の対岸がよく見えます。400年以上前、ここから武田氏の動きを監視していたかと思うと少しドキドキします。
第一曲輪です。訪れていた3人グループの方たちが木陰でお昼を食べていました。眺めがいいので、きっとご飯も美味しいでしょうね。
4つの腰曲輪が海の方へと連なっているので降りてみることにしました。
下っていくと海辺に出ました♪
思っていたより海の透明度が高くてびっくりです。同じ湾でよくウインドサーフィンをするのですが、これほど綺麗な場所があるとは思いもしませんでした。
海には生簀があってタイなどの魚を釣ることもできます。実際に釣って食べた人の話ではびっくりするくらい美味しいのだとか。
海を見た後は再び腰曲輪を上り、西側の入口へと向かいました。
西側の入り口には小さな公園のようなスペースがあり、北条水軍が使用していた安宅船の大きさを表示した原寸大模型が設置されています。安宅船は戦国時代の「海上の城」とも呼ばれる船ですが、詳細はまた別の機会にご紹介します♪
長浜城跡には立派な天守閣や大きな石垣、お堀などがあるわけではありません。しかし、山城の特徴も持ったとても珍しい水軍の城砦です。さらに当時の痕跡をここまで復元したのは水軍城としては東日本では唯一だそうです。
北条水軍の貴重な城。三島や沼津、もしくは西伊豆に遊びに行かれる際に立ち寄られてみてはいかがでしょうか。城跡の上に立って内浦湾を眺めれば、北条と武田が争っていた戦国時代の光景が見えてきそうです。条件が良ければ海越しの富士山も綺麗に見れますよ♪
長浜城跡
参考WEBサイト
※そのほか長浜城跡に設置されていた説明板なども参考にしました。
Text & Photo:sKenji