息子へ。東北からの手紙「これだけは」と教えられた教訓

「蛇田、立町、渡波、門脇。どこだか分かる? 人に話を聞きに知らないところに来る時には、地名とその読み方だけは少なくとも知っておいた方がいい」

石巻日々新聞の近江社長とは、石巻で会う前に静岡でお会いしていた。震災からほぼ1年後のことだった。今度石巻に来たら連絡してねと言ってもらっていた。それからだいたい半年後、教えられた住所は新聞社の所在地ではなくて、町なかの中心地だった。そこは、近江社長が思いをぶつけて作ろうとしていたレジリエンスバーの場所だった。

レジリエンスバーと、その1階のニューゼはオープンに向けての最終準備段階。レジリエンスバーではメニューをどうするか、近江さん自らが包丁をふるって試食会をしている最中だった。写真家の平井慶祐さんや瀬田さん、電気屋さんパナックけいていの佐藤さんと出会ったのもその時だった。とても濃密で濃厚な出会いの場だった。

そこで近江さんが教えてくれたのが、この教訓。

「ワタノハとか、カドノワキ、タチマチ、ヘビタとかって地名を言えたらさ、それだけで地元の人はうれしいし、ちょっと信頼してくれるんだよ」って、神奈川生活が長かった近江さんが横浜弁で教えてくれたのさ。

以前に女川で、これまたたいへんお世話になっている石田さんから、どこの場所がどうだった、どこの場所でいまどんなことが起きているという話をたくさん聞かせてもらった時、地名が分からなくて理解が進まなかったことを思い出した。

炊き出し支援に行った時にも、ボラセンでもらった略図のような地図に書かれた地名と場所が、カーナビや地図とつき合わせてもよく分からなくて呆然としたことも思い出した。地名――。地元の人にとっては自明である名称。外からやって来た人間には地名そのものはもちろん、その読み方すらよく分からないことが少なくない。

どこで、が理解できなければ、話がそれ以上具体的に進むことはない。本当ならもっとその土地の特色、たとえば人口やら人口構成やら主な産業とかいった基本データも必要なんだろうけれど、せめて少なくとも「地名」だけはアタマにいれおかなければ。

そのことを、開店間近のレジリエンスバーのカウンターで教えてもらったんだ。ウニやサラミを載せたカナッペとか、特製パスタをおつまみに、「これだけは人に譲れない仕事」なんて笑顔でいいながら注いでくれるハートランドビールの生をいただきながら、教えてもらった。

地名は地図を見れば覚えられる。Google Mapで見ても分かる。ゼンリンとかマップルの地図を見ればGoogle Mapよりもさらにはっきり分かる。だからそれ以来、初めての土地を訪れる際には、地図だけは見て行くことにした。

最低限の礼儀である。だけど礼儀であるばかりでなく、お話を聞いて想像できるものが違ってくるということそれ自体が、とても大切なことなのだと思う。

ネットやナビのおかげで地図は身近になったけど、目的地に行けさえすればいいということではなくて、その前段階として、その土地を知ろうとすることなんだなあ。というわけで、ちょっと覚えておいてもらえたらうれしいです。たぶん、将来思い出してくれることになると思うから。