大船渡・越喜来の「潮目」は何度でも立ち上がる!

何者かによってドアや窓が壊され、そして内部の展示物等が荒らされた、大船渡市越喜来(おきらい)大津波資料館「潮目」。地元の人たちの協力で修復された潮目は、いつもと変わらない表情で、訪れる人々を出迎えていた。

大型連休の青空のもと、鯉のぼりも元気に泳いでいる。なんだかとてもほっとした。大げさな言い方になるかもしれないが、鯉のぼりは希望の象徴だ。「潮目は元気だよ~」と遠くから見えるように知らせてくれているように感じた。

到着してまず気になったのは被害の程度だ。しかし、割られた窓ガラスはすべて修復されていた。壊されたドアにはこんな言葉が。

なかよく
たのしく
元気よく

大津波資料館「潮目」の建設や整備を行ってきた地元の建設会社社長片山和一良さんが、破壊された潮目を修繕した時に、地元テレビニュースで語っていた言葉を思い出す。

やらされたことに対してはさ、すごく残念だけどさ、でもそれ以上のものをさ、なんとなく、見つけたような気がするよ。うん、うん。いかった、いかった。

引用元:IBC岩手放送のニュース番組エコーだろうか

片山さんは、潮目が壊されたことよりも、潮目の修理に地元のこどもたちが参加して、いっしょに取り組んでくれたことを収穫だと語っていた。

ニュース映像では針がねじ曲げられていた時計も、なんとか元通りに近い姿に直されていた。屋内のテーブルや椅子の配置は変わっていたが、窓も、ほかの展示物も概ね修理は完了しているようだ。

世代をこえて「伝えていく」場所

潮目は津波で周辺に流されてきた被災物などを使って作られた施設だ。多くの場所で被災物は瓦礫と呼ばれ、町の復旧工事を進めるために「まず撤去し、処分すべきもの」として扱われてきた。今では津波被害を受けた土地に被災物はほとんど残されていない。

ところが潮目では被災物が第二の命を得て、こどもたちの遊び場所として、津波被害を伝えていく存在として、そしてたくさんの人々が集まる場所として生き続けている。

ただの廃材として処分されてしまったかもしれないパネルは、滑り台として生き返った。しかも「スベリタイ?」なんて愉快なダジャレ入りで。

ダジャレといえば、何といってもこの看板。

(看板の前に物が置かれていたので、こちらは2015年1月1日の写真から)

ここがオキライですか?
いいえ地名はオキライでも
だ~い好きです!

被災した姿のままではちょっと辛すぎるかもしれない被災物たちが、手描きのダジャレで楽しく、明るくよみがえる。

誰かに壊されるようなことがあっても、この精神があるから何度でも立ち上がる。

修理された潮目で青空を泳ぐ鯉のぼりを見ていたら、自然と勇気が湧いてくる。

かさ上げが急ピッチで進められる越喜来で

前に訪ねたのは正月のことだった。それから数カ月の間に、越喜来の町ではかさ上げ工事が驚くほどのスピードで進んでいる。

陸前高田よりも女川よりも、もしかしたら越喜来の盛土の高さは一番高いかもしれない。本当に見上げるばかり。まるで盛土そのものが巨大な建築物のようにすら思えるほどだ。

越喜来小学校から三陸鉄道の駅ねの坂道の途中から振り返ると、正月に見た時よりもさらに潮目が小さく見えた。どんどん高くなる盛土の山に囲まれて、小さく小さく見えた。

壊されても立ち上がる。いつもと同じ表情で迎えてくる。あの出来事を経て潮目はさらに特別な場所になったのは間違いない。何度でも立ち上がり続ける場所。挫けない精神がぎゅっと詰まった場所。いつも笑って未来の方を向いている場所。そんな潮目には、これからもずっとこの場所にあってほしいと思う。守っていきたいと思う。