お吉、安直楼を開業
お吉は再度髪結い業を営みますが、船主の亀吉が資金援助をし、小料理屋の『安直楼』を開業します。お吉の才覚を知るものであれば、支援があっても不思議ではありません。ベンチャー企業に対するエンジェル投資家登場です。
安直楼の名前の由来の「安直」とは、安くて気軽に飲める店の意味です。お吉のお人柄が出ているのではないでしょうか。高級料亭ではなく、庶民のための店です。今にたとえるならば『鳥貴族』のようなお店かも。
※鳥貴族がない地域の方は、わかりにくいですね。日本で一番最初に低下価格の均一料金を導入した焼き鳥をメインにした居酒屋さんです。 全国に大阪、東京、兵庫、京都、奈良、愛知、千葉、神奈川、埼玉、滋賀に店舗を出店し、現在383店舗もある、なんでも280円均一です。1985年に焼き鳥屋を開業し、2014年にジャスダックに上場という物凄い勢いです。脱サラから始めた創業者であり、現社長でもある大倉氏は関ジャニ∞の大倉君のお父上です。私が一番(か二番)によく行くお店でもあります。気になる方は調べてください。メニューページのドリンクの『金麦(大)』は目ン玉飛び出るくらい、正真正銘の大ジョッキです。280円!
しかし、下田の人たちのお吉に対する偏見が消えているわけではありません。お吉は、再び酒に溺れ、安直楼は閉店、とうとう物乞いになってしまうのです。
鶴松がこの世を去り、お吉は生きる目標を失ってしまったいたのかも知れません。嵐の晩、稲生沢川門栗ヶ淵(お吉が淵)で入水自殺をしてしまいます(事故説もあります)。1890年3月27日のことです。
身寄りがない者として、どの寺も引き取りを拒否したため、お吉の遺体は、むしろをかけられて、川淵に放置されること三日間。たまたま淵の近くを通った永福寺の住職が、野ざらしのお吉を哀れみ、引き取って無縁仏として供養をしたのです。
斎藤きち、享年48歳。幼馴染の鶴松との結婚を夢見ていた17歳の少女は、日米開国の陰で、非業の死を遂げることとなりました。
あありにも悲しすぎます。
お吉が何度も下田に戻ったのはなぜでしょう。望郷の念なのか、養母や実の両親への想いなのか。最後に下田に戻ったのは、きっと鶴松への想いだったと、私は思っています。
そして虐げられても、下田のことが大好きだったのでしょう。
お吉祭り
毎年3月27日、市内のお吉ヶ淵と宝福寺で、開国史の悲劇のヒロイン・お吉の供養祭がとり行われます。お吉ヶ淵では、下田芸妓衆や観光関係者による献花が行なわれます。
お吉の命日にあたる祭り当日は、毎年必ずのように雨が降ります。お吉の無念の涙雨だと地元では囁かれます。春雨に濡れて、哀愁漂う中にもどこか艶やかな雰囲気のあるお祭りです。
右の写真に
「好い女 乱れて泣くか 明けからす」と書かれた句があります。
ここに刻まれた明けからすとは「新内節明烏夢泡雪」(しんないぶしあけがらすゆめのあわゆき)」のことで、浄瑠璃の流派の一つ、新内節の明烏夢泡雪という歌のことです。お吉が三味線で歌うこの歌がとっても評判で、明け烏と言えばお吉を指すほどの歌の上手さだったそうです。
「からくさの 浮名の下に枯れはてし 君が心は 大和撫子」
ー新渡戸稲造
新渡戸博士は、お吉さんの理解者だったのですね。
サザンオールスターズの歌に、「唐人物語(ラシャメンのうた)」があります。お吉さんを歌った曲です。
最後にこの曲を歌った動画をご紹介したいので、リンク先を掲載します。歌っているのはサザンではなく、mimicahan2020という方ですが、もの凄く素敵な歌声です。一瞬原坊が歌っているのかとも勘違いしました。お吉さんの物語にとてもマッチした歌声です。是非聞いてください。
そして桑田さん、素敵な歌をありがとうございます。
お吉さん、今年の命日は、暖かく、とても良いお天気に恵まれましたよ。
お吉さんの心も、いつかきっと晴れるよう、ご冥福をお祈りいたします。
30年近く心に引っかかっていたことを書かせていただきました。