さぶろうたと復興支援

震災から4年がたつ。
当時、東北の惨状をテレビで見てあまりの酷さに言葉にならなかったのを覚えている。

テレビでは連日震災のニュースが流れ、津波の映像やどんどん増えていく死者の数に心を痛め、この先日本はいったいどうなってしまうんだろうと本気で不安になった。

震災から2年目と3年目に東北を訪れた。東北の人たちにいろいろな話を聞いた。共通していることはみんな口々に感謝の言葉を言っていた。
感謝されることなんて何一つしていない自分はどう返していいか戸惑ったが、帰ったら絶対この人たちの力になるんだと心に決めた。なんでもいいから自分ができることを探そうと決めた。

それから時がたち、東北の人たちのために何ができたかを思い返してみる。
復興支援、復興支援と口では言っているくせに結局何もできていない自分がいる。

東北へ行ってお金を使うこと、東北産の野菜を買うことも復興支援。
だから自分は復興支援をやっているんだと勝手に言い聞かせている部分がある気がする。

それだけで十分と言ってくれる東北の人たちがいる。

強制的にやれと人にいうものでもなく、自分も絶対にこれをやらなくてはいけないというものはないと思っている。でも何かしてあげたいと思っている自分がいるのに何かしらの理由をつけて行動に移せていない自分に呆れる。

今回を機会にもう少し考えていけるようになれたらいいと思う。

津波てんでんこ ~釜石の奇跡

『津波てんでんこ』
津波が来たら指示を待つでもなく、家族にもかまうこともなく、各自てんでんばらばらに一人で高台に逃げて自分の命は自分で守れ。

この教訓に基づき、日頃から避難訓練を重ねてきた釜石市の小中学生の生存率は99.8%だった。1,000人以上の犠牲者を出した釜石市の中、このことは『釜石の奇跡』と呼ばれた。

津波てんでんこ=人のことなんてかまってないで、自分だけでも助かるように逃げろというようにも感じるとれる。では小中学生は自分だけ助かればいいという気持ちでいたかというとそうではない。

ある中学生は小学生の手を引いて一緒に逃げた。
『泣き叫ぶ小学生を見て私も泣きたくなったが、あの日私は大人になるしかなかった』

みんなで助け合った、みんなで守った命だと思う。

日頃の訓練や心の備えが生んだ、ごく『自然の行動の結果』で決して奇跡とかではないと思う。

震災4年。今思うこと

ただ、この東日本大震災によって自分の中で震災に対する意識が大きく変わったことは確かだ。

もしもこの震災がなかったら、
そして東北と同じような地震が身近に起きていたとしたら、自分は間違いなく命を落としていたと思う。

でも今なら生きられる自信がある。それだけでも進歩なのかもしれない。

いつか身近に大きい地震は来るだろう。

そのとき一人の犠牲者も出さず、生き延びることは不可能ではないはずだ。

がんばろう!東北