【終戦70年】2015年の「2.26事件」

2.26事件で永田町、赤坂付近を占拠する兵士

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79年前の本日未明、雪が積もった帝都東京の都心は軍靴の音と銃声、そして恐怖に包まれた。青年将校に率いられた約1400名の兵が起こしたクーデタ未遂事件「2.26事件」の勃発である。

青年将校等は、こんにちの政治状況は政治家や軍閥など一部の人々が天皇陛下の意を曲げて国家を私しているとし、重臣、軍閥、正統など「君側の奸」の排除と天皇親政を掲げ、下士官兵を率いて決起。首相官邸、警視庁を占拠し、岡田啓介首相、高橋是清大蔵大臣(元首相)、斎藤實内大臣(内大臣は天皇を輔弼する重臣)、鈴木貫太郎侍従長など多くの重臣を襲撃したほか、永田町、赤坂、三宅坂、霞ケ関など政治の中枢部を占領した。

意を通じた軍上層部から天皇への奏上を行い、天皇親政を実現すると目論まれたクーデタだったが、決起した部隊は軍部から逆に「反乱部隊」とされ、27日には戒厳が発せられた。天皇は戒厳司令官に対して、帝都を占領している将校たちを原隊に復帰させよ(事変を収拾し首謀者を逮捕することを意味する)といった内容の命令を下し、自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たるとまで語ったとされる。

天皇の意思が明らかになったことで、クーデタは終息に向かっていった。

下士官兵に告ぐ

一、今からでも遅くないから原隊へ帰れ
二、抵抗する者は全部逆賊であるから射殺する
三、お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ

二月二十九日
戒厳司令部

引用元:「シリーズ20世紀の記憶 『満洲国の幻影』(毎日新聞社 平成11年発行)233頁」より

責任はすべて反乱を率いた将校たちにある。下士官兵は上官の命令に従っただけなので速やかに原隊に復帰せよ。「勅命下る 軍旗に手向かうな」というアドバルーンや、「下士官兵に告ぐ」のビラはそんな内容だ。

勅命、軍旗、逆賊、父母兄弟まで国賊…。このような言葉が並ぶ意味を深く考えてみる必要がある。予断を抜きにして。

2015年の2月26日

今日は2月26日。この事件をめぐって多くの意見が飛び交うことだろう。青年将校は昭和維新を目指していたとか、結局軍内部の勢力争いだったとか、農村の困窮を救うための義挙だとか。事件の一部に注目すれば、さまざまな言説が成り立ちうる。

しかし、この事件は短く簡潔にまとめて理解できるほど簡単なものではないと思う。とらえどころがないほど複雑で、関わった人々の範囲も広く、ぬめぬめするような体温まで伝わってくる。そして事件の経緯は極めて乱雑だ。事件がその後の歴史に及ぼしたことまで合わせて考えようとするならば、私たちはもっとこの事件について深く学ばなければならないと思う。この事件が可能であった空気がどのようなものだったのか、感じ取ることができるまで。

79年前、この国が軍事クーデタ(軍事力によって国を転覆させること)が起こりうる国であり、現にこの日、その未遂事件が起きてしまったということを軸に。