大川小学校前から長面方面へ。震災前の町の車載ビデオから見える町の風景

海辺の地を行く「石巻市・長面」2014年12月30日 というぽたるページに追記した部分を改めてご紹介します。

大川小学校前から長面松原、そして尾崎橋へと走っていくSenbaMasakiさんの車載ビデオ映像

[VM0407A]_100430_宮城県石巻市(旧河北町)01_北上川_釜谷_長面_長面浦_尾ノ崎

SenbaMasakiさんのYouTube
2010年4月30日、夕暮れの旧河北町を、新北上大橋、大川小学校前、北上川の護岸、長面海岸、長面の集落、尾崎橋、尾ノ崎の集落へと走る車からの映像です。

新北上大橋の西詰からスタートして大橋を渡り、「三角地帯」の信号を左折、大川小学校前への道を下ります。道の両側には商店や家が立ち並び、小学校はちらっとしか見えません。「あのビデオで、道の右側に咲く桜は大川小学校の桜並木だよ」と遺族の方が教えてくれたのを思い出します。小学校を過ぎてもしばらく道の両側に民家が並んでいます。やがて車窓の風景は右側が山、左は田んぼという眺めになります。この辺りまでは、現在通行できる道とほぼ同じ場所を走っているようです。

ここから車は田んぼの中の道を横切って北上川の方へと向かいます。この道は国土地理院の浸水域概況図(というよりその元になった2万5千分の1地形図)にも描かれています。道の両側の田んぼには水が張られています。じきに田植えという頃だったのでしょう。川の護岸で右折、北上川(正確には北上川に並行して流れる富士川)に沿って、車は河口へと走ります。

青いラインが映像の行程。元の地図に描かれた斜線部分は津波による浸水域。国土地理院「浸水範囲概況図 No.86」を引用し加筆

どこからが現在浸水している場所なのか分からないうちに、車は北上川の河口へ。追波湾の浜辺で車は何度もくるくる回ります。浜辺、太平洋、浜辺、松林、浜辺、太平洋…。

津波で失われ、今はもう行くことのできない土地で、ダンスするように転回する車からの映像――。およそ2倍速のビデオですが、何かが伝わってきます。浜辺を後にして松原に入っていく道も、国土地理院の2万5千図に載っている小道です。松原を抜けたあたりで「松原荘」という看板が一瞬目に入ります。松原荘は津波で建物も土地も失ってしまいますが、現在は別の場所で営業しているとのこと。

松林を横切って突き当たった海は長面湾。太平洋につながる水道部分です。このあたりも松がたくさん生えています。豊かな海、美しい光景。今は失われた海岸線から尾崎橋の方へと車は走っていきます。

現在砂浜のようになっている海岸線へ左折した車は尾崎橋のたもとで右折。長面の集落へと走っていきます。途中左手に水産加工場のような建物も見えます。そこを過ぎるとたくさんの家並み。どこかにあの枯れ木の姿はないかと目を凝らしていたら車は急に左折。その正面には枯れ木の横に見えていた水門のような施設がありました。どうやら小規模な排水施設で、長面湾に沿った防波堤の手前にあったようです。そして、あの枯れ木と思われる木も梢の先端を、ほんの短い時間ですが映像にその姿を残していました。

土嚢が積み上げられた路肩の向こうはすぐ海。海なのに枯れた木が立っている。水門のような施設の一部が海面から突き出ている。震災から4年近くが経過した2014年12月30日の長面集落の風景

potaru.com

映像は尾崎橋まで引き換えし、橋を渡った先の尾ノ崎の集落から長面湾を時計回りに走ったところで続編へとつづきます。

実際に眼で見ることができる光景と、もう映像の中にしか残っていない景色を合わせて観ることで、愛着としかいいようのない感情が湧いてくるのはなぜでしょう。私は震災の前のこの町を知りません。それでも苦しさと愛おしさで胸が詰まるような気持ちになってしまいます。この町で暮らしてきた人たち、日常の時間をこの場所で過ごしてきた人たちにとって、その愛着はいかほどのものでしょう。

津波で失われてしまった町の姿を、私たちはもう目にすることはできません。それでも、その風景を想うことはさまざまな方法で可能だと思うのです。

そしてもう一つ、くり返しになりますが、枯木が海に残された写真は2014年12月30日の姿です。