津波被災地ではたらく「現場の掟」

雪が降ったり、風が強かったり、ただでさえ冬場はとくに屋外作業が大変になる東北の被災地。陸前高田のかつてのメインルートのひとつを歩いていたら、一枚の看板が目に付いた。陸前高田のマスコット「たかたのゆめちゃん」が描かれたボードの近くに立てられていたのは、「津波被災地エリア作業ルール」。町の変貌やかさ上げの高さばかりが気になるが、ここは津波被災地だったのだ。

盛土の上には「造成計画高さ 14.1m」と記されている

このルールのあいまいな運用は一切禁止する。

人間ってのはダメなもんだ(というか、自分のことだが)、こんな看板を目にしても最初は「ふ〜ん」くらいにしか感じない。タイトルを見て「被災地ならではの看板だよなあ」と思ったりしながら、つい目が下の地図の方に行ってしまう。その途中、12条あるルールのうちの12条目を目が勝手に読んでいた。

「まる12 このルールのあいまいな運用は一切禁止する。」

これはなまなかなものではない。不謹慎なたとえなのをあらかじめお断りしておくが、ドラマ「大江戸捜査網」の劇中のナレーションを思い出した。「隠密同心心得之條」として何項かの掟が語られた後、最後に続く部分だ。「死して屍ひろう者なし…」というくだり。この看板に書かれた掟がどれほど厳しいものなのか、痛感させられた次第。

「まる6 職長、班長はラジオと携帯電話を持ち、緊急情報をすぐに伝える。情報伝達業務のみに徹する」(別窓で開くと大きく表示できます)

「心得之條」に当たるルールの本体は、ざっと流し読みしただけでは、それほど難しいものには思えない。

・単独行動はしない、させない
・リーダーはつねに情報収集のためのラジオと、連絡のための携帯電話を携行する
・津波警報や注意報が発令された場合は、避難場所へ全員避難。解除までは全員でまとまり待機(もちろんここでも単独行動は許されない)
・リーダーは津波到達ラインを常に把握し、もしも避難する場合の最短ルートを常に確認する
・本部との連絡を密にする

過去に津波に襲われた場所での作業だから、同じ規模の津波が来ても犠牲者を出さない為の至極当然な心得(ルール)だろう。しかし――、

言葉で読み流すと当然のことのようにも見えるが、これでも厳格な運用はなかなか難しいのではないかと思う。

警報などが発令された場合に、現場にいる全員が「津波到達ライン」よりも安全な場所まで避難する、というのがこの看板に記されたルールのキモだ。

ところが、作業を行う場所によっては津波到達ラインよりも高い場所、遠い場所まで避難することがかなり大変なのだ。津波到達ラインがあくまでも東日本大震災の際の津波の到達ラインであって、それよりも大規模な津波が発生する可能性がゼロではないということは、ここでは一旦は置いておく。それでも海岸近くで作業をしていて警報が発令された場合に、作業している全員を取りまとめて、安全とされる場所まで避難するのはそうとう難しい。

たとえば、奇跡の一本松への歩行者用通路には、津波警報や注意報が出された場合の避難場所を示す看板が何カ所も掛けられている。その避難場所がどこかというと、陸前高田市立第一中学校。市役所が仮設庁舎として移転した高台のすぐ近く。かつて松原だった一本松から徒歩で逃げようとしたら30分以上かかってしまう。しかも町中は現在かさ上げ工事の最中で、むかし通れた道のほとんどが通れない。避難のためのルートは大きく迂回することになる。

奇跡の一本松から第一中学までは直線距離で約2キロ。途中には巨大なベルトコンベアー群や高さ約15メートルの巨大な盛土が連なり、さらに坂道も2カ所。中学への最後の坂道はかなりきつい(GoogleMapに追記)

工事現場の人たちならば、自動車で避難するかもしれない。それでも距離の長さ、通れるルートの限定から渋滞が発生しないとも限らない。

地図で距離測定ができる「地図蔵」のページで2015年1月1日時点での避難経路を測定すると、その距離は3.23キロだった(地図蔵「地図で距離測定: Google Maps」での測定画面)

また、掟の内容そのものにも、現在の一般的な土木工事の進め方との乖離が見られなくもない。一人作業の厳禁は安全確保から考えれば当然のルールだろうが、現地での作業を眺めていても、ブルドーザーやパワーショベルなどのオペレーターはほとんどひとりで作業をしている。なぜなら機械が1人乗りだからだ。さらに大規模なかさ上げ工事では、GPS利用で作業の効率化を追究している最新機材も少なくない。

たしかに斜めになった法面の整地など細かな作業では、機械の外で働く「手元」(機械では出来ない細かな部分の手作業での調整や、設計通りの作業が行われているかをその都度測定するなど、重機オペレーターを補助する人)がつくこともある。道路や駐車場などの近くでは、監視員や誘導員が付くはずだ。しかし、一面が更地になった場所に土を盛り、整地して行く作業に、機械1台当たり複数名を付けろというのは、経済面から考えて現実的ではない。

職長や班長などのリーダーにラジオと携帯の携行を義務づけているが、バックアップについてはどう考えているのだろう。ラジオや携帯が壊れることは十分に考えられるし、リーダーにもしものことだって起こりうる。

警報などが解除されるまで全員で待機と明言されてはいるが、工事の「納期」がどうなのかという点も気になる。納期の問題は発注側や元請け側が柔軟に対応するかどうかという問題だけではなく、現場の作業員が所属する会社が締め日に提出できる請求書の問題とも絡んでくるはずだ。そこまでわざわざ看板に記す必要はないのだろうが、どのような取り決めになっているのかは気になるところだ。

JVとの連絡強化が何条にも記されているが、JV=ジョイントベンチャーとは元請け企業の連合体のこと。何十社もある下請け企業、しかもそれが何層にも階層化された状態で、離れた場所にいる元請けの監督や所長はすべてを把握できるのか。比較する対象ではないかもしれないが、事故原発の作業現場では下請け企業の作業員がケガなどした際の状況を、発注元が何日間も把握しなかったという事態が複数回発生している。

津波被災地エリア作業ルールに記された12カ条の掟は、文字で読むとさらっとした内容にも見えるが、それでも結構たいへんな決め事だと思う。だからこそ、最後の1条、12条目にトドメとも言えるような厳しい言葉を付したのだろう。

曰く「このルールのあいまいな運用は一切禁止する。」

津波被災地エリアだけの「掟」でよいのか

現場のみなさんは本当に大変な作業をしているのだということを、たかたのゆめちゃんの側にある看板から教えられ、そしてゆめちゃんといっしょに「がんばっぺし」と作業に携わるみなさんへのエールを心の中で唱えつつ、車に戻ってバタンとドアを閉めたときに思った。

実際に津波に被災したこの場所であの看板を見れば、胸に迫ってくるものはある。たしかにそうだ、夏祭りのうごく七夕も行き来したメインの通りが、いまでは盛土の山に囲まれているような現場なのだから。

かつてこの場所を大地震と大津波の災禍が襲ったことは、改めて言うまでもない。

しかし、今回被災することのなかった日本中のさまざまな場所で、これから先に起きるとされる巨大地震や巨大津波に対して、津波被災地エリア作業ルールのような備えはあるだろうか。

少し考えただけで恐ろしくなる。

工事現場だけの話でないのはもちろんだ。工場でもオフィスビルでも商店でも、さらには被災する可能性がある町をたまたま訪れた人、あるいは危険性のある地域に暮らしている人たちも含めて、陸前高田の工事現場に掲げられた「心得」は他人事などではありえない。

陸前高田の工事現場で、福島県いわき市の友人から聞いた話を思い出した。

「震災なんて、ほとんどなかったみたいな感じですからね、地元であってさえ。事業所の防災体制を考え直さないと、次にまた同じことが繰り返されることになります。これは急を要することなんです」

この記事のタイトルはまだまだ甘かった。掟を心し、掟について考え、掟から学ぶべきは、被災地の現場でがんばる作業員の方々だけではない。