最初に会った時、一本松はすでに切り株になっていた。
次に会った時には、レプリカとして再生された幹だけが寂しく立っていた。
その後は、枝を設置するために足場が組まれた姿、付け替えのために枝が外された姿、
ようやく完成してライトアップされた姿など、奇跡の一本松が人工的に再生されていく過程で何度も会ってきた。
町のかさ上げのためのベルトコンベアーが設置されてからは、松はずいぶん遠くなったように思う。
地元の人たちはベルトコンベアーを「コンビナート」と呼ぶ。それくらい巨大だ。
一本松はそんな巨大なコンベアーの向うに、ひっそりと寂しげに立っていた。
2012年に枯れたことが確認され、9月に伐採。ばらばらにされ、型を取られ、模型を組み立てるように再構成されていく一本松の姿は痛々しいものだった。
2013年7月に完成した時の気分は複雑だった。切り株だった頃の姿が忘れられない。
巨大コンビナートに隠されてしまった現在の姿も違った意味で痛々しい。
しかし、一本松には今日もたくさんの人が訪れる。
駐車場から歩いて15分ほど。短い距離ではない。しかも海岸近くの道は風が冷たい。
松までの道には2カ所もベンチが置かれている。高齢な人には困難な道かもしれない。
それでもたくさんの人が一本松に会うために歩いていく。
一本松は「奇跡」の象徴であると同時に、可哀想な存在でもある。
ずっとそう感じていた。
でも、たくさんの人たちが松に会うためにこの場所を訪れ、松を通して陸前高田の町のことを知り、この町のことをきっと誰かに伝えてくれる。
雪まじりの冷たい風の中をたくさんの人たちが歩いていくのを見ていたら、
「幸福の王子」の話を思い出した。
話の内容としては逆さまだけど、一本松もまた自分の身を切り刻まれ、10カ月近くも不自然な姿をさらしてもなお、
陸前高田の町の希望のシンボルとして立ち続けている。
7万本の仲間だった松原が消え失せた後、たったひとりで立っている。
奇跡を、何度でも
松は生命を失ったが、その代わりに町を見守り続けるという使命を引き受けた。
巨大なコンビナートが稼働して、町だった場所にどんどんと赤土の山が盛り上がっていく。かさ上げ工事が進められている陸前高田の町自体、どこか痛々しい。
津波で破壊された町でも、建物の基礎や道が残っていた時には、まだなんとか町の面影を見ることができた。しかし、町を埋め尽くしていく盛土には何の表情もない。「失われた町が、もう一度失われていくような感じがする」と話してくれた人もいた。
でも、「かさ上げをしてからでなければ、家も町もつくれない。町が消えていくのは辛いけど、これは必要なことなんだ」とも。
失われた上に、さらにもう一度失われていくような苦しさ。そんな不安な気持ちまで含めて、一本松は陸前高田の町を見守っている。言葉には出さなくても、そこにただ立ち続けることで、町の人たちの希望になっている。
これまでは痛々しさの方が勝って言えなかったのだけれど、一本松に伝えた。
「きっとまた来きますから」
コンビナートができた頃には、一本松の場所を見失うこともあったけれど、再会した後には、コンビナートの後ろのどの辺りに立っているのかも、ちゃんとわかるようになった。希望の一本松が近しく思えてきた。
「奇跡を、あなたと、何度でも」と、自動販売機に記された言葉が染みる。
きっとまた参ります。