長野・岐阜の県境にある御嶽山が噴火して今日で1カ月が経ちました。噴火から今日まで当時の状況を伝える証言が数多く報じられてきました。1カ月の時が経ち、御嶽山の噴火について生存者の方の証言を元に改めて考えてみたいと思います。
生死を別ける極限下のもとで
火山災害としては戦後最悪である57名の方が犠牲になり、現在も行方不明の方が6名います。生きて戻られた方々が、噴火発生時の様子について「地獄のようだった」、「死を覚悟した」とテレビで語っていました。そのような極限の状況下でありながら、登山者や山小屋の関係者が助けあっていたことも伝えられていました。既にご存知の方も多いかもしれませんが、先日も下記のニュースが報じられています。
御嶽山の噴火で亡くなった横浜市の会社員の男性(近江屋さん)の両親に、22日午前、遺品の登山用ジャケットが届けられました。
(中略)
このジャケットは近江屋さんが噴火のあと山頂近くの御嶽神社付近の岩陰に身を隠した際、その場に居合わせた愛知県豊田市の小学5年生、長山照利さん(11)に貸したものでした。
警察などによりますと、当時、岩陰には近江屋さん、照利さんと別の女性の3人がいたということで、足にけがをしていた照利さんが「寒い、寒い」と訴えたと言います。
近江屋さんは自分のリュックサックからジャケット2枚を取り出し、「これをその子に着させてあげてください」と言って女性に手渡したということです。このとき、近江屋さんは照利さんの傷の手当てもしたということです。
岩陰にはほかの登山者たちも入れ代わり立ち代わり身を寄せ、混乱のなか、3人は噴石から逃れようとばらばらに避難しました。
その後、近江屋さんは山頂から数百メートル北側の一ノ池付近で、照利さんはさらに北側の二ノ池付近の登山道で見つかりました。2人と岩陰で居合わせた女性はけがをしたもののなんとか下山したということです。
噴火発生時の状況について
噴火後1カ月の間に映像や写真とともに噴火発生時の状況を伝える多くの証言も報じられてきました。そのなかで噴火当時の様子を伝える話をいくつかピックアップしてご紹介します。
まず最初に噴火発生直後から数十分の状況の変化について、毎日新聞のWEBサイトにありましたので引用します。
愛知県豊田市の会社員、山本道雄さん(54)は山頂付近にいた。「噴火前、強い硫黄の臭いがした」
午前11時52分 青い空に灰色の噴煙がもくもくと上がる。1分後、噴煙が目の前に迫った。火山灰と共にこぶし大の石が降り始め、近くの小屋の外階段の下に潜り込んだ。息が詰まる熱風が押し寄せ、周囲は真っ暗になった。
噴煙の中、閃光(せんこう)が30分は続いた。火山灰や水蒸気などの粒子同士の摩擦で起きる静電気が放電されて起きる現象「火山雷」だ。
午後0時30分 階段脇から外を見ると、一面灰まみれだった。
噴火当時の状況については、信濃毎日新聞のWEBサイトに証言を元にした多くの記事がありました。同WEBサイトを中心に噴火発生時の御嶽山の状況がわかる記事をご紹介します。
午前11時52分の噴火直後、同会の別の男性は「噴煙に気付いて5秒ほどで熱風と噴石が来た」。男性はしゃがんで噴石に耐えたが、「痛さより熱風の熱さがすごかった」と言う。視界が開けると、約10メートル以内に仲間2人が倒れていた。1人は首の辺りから出血していた。
(中略)
「噴火口の方から『ゴー』という低い音の後に火山灰が降り、『コーン』という高い音の後に噴石が落ちてきた」。「ゴー」「コーン」という音は交互に響き続けた。
(中略)
膝まで火山灰に埋まった。「高温サウナ」のような熱風も押し寄せ、リュックのプラスチック製留め具が変形した。「数十センチ大」の噴石が地面に当たり、「ガシャン、ガシャン」という音が聞こえたという。
すぐ小屋の軒下に逃げた。ほんの数秒で周囲は真っ暗になり、軒下に続々と人が押し寄せてきた。「生きてるか」「大丈夫か」と確認し合う声、泣き叫ぶ子どもの声、「神様助けて」と祈る声…。さまざまな声が聞こえた。
小野田さんも頭に噴石が直撃したが、意識は失わなかった。約30分たって視界が開けると、軒下の先に下半身が火山灰に埋まってあおむけになった男性、うなだれた女性、体がくの字になった男性を見た。助けようにも噴石が落ち続けていた。
「硫黄臭が強烈で死ぬと思った」。山頂から10分ほど西側に下った岩場で左後方からの爆発音を聞いた。噴煙が見上げる高さに上がり、30センチ大の噴石が無数に舞い上がっていた。「うそずら(うそでしょ)」と叫んだ。近くの岩に体を張り付け、両手で頭を覆いしゃがんだ。服で顔と口を押さえて呼吸を試みたが、硫黄臭が強く吸い込めない。すぐ近くの男性はしゃがみ込んで吐いていた。
次の記事ではわずかな位置の違いで状況が大きく異なっていたことを伝えています。
御嶽山の噴火で登山者が経験した熱風や強い刺激臭、噴石などの噴出物は、位置がわずかにずれただけで大きく異なっていたことが3日、生還者の証言で分かった。研究者らは、風向きなどが強く影響した可能性を指摘。
(中略)
「熱風が吹いて高温サウナにいるような気分。10分以上続くと死ぬと思った」と、岐阜県中津川市の会社員林禎和(さだかず)さん(41)。9月27日午前11時52分の噴火直後は頂上直下の御嶽頂上山荘前にいた。噴煙から逃れようと走ったが、暗闇の中で立ち往生。午後0時7分に熱風に襲われた。
噴火口により近い御嶽頂上山荘に避難した浜松市の会社員佐野奈々恵さん(35)も「山荘内に1回、ストーブほどの熱さの熱風が入った」と話す。
(中略)
山頂より西へわずかに下っていた上伊那郡飯島町の山岳ガイド小川さゆりさん(43)は「熱風は全く感じなかった」。ただ、強烈な刺激臭が鼻を突き、近くの男性が嘔吐(おうと)した。八丁ダルミの鈴木さんは「息ができないほどではなかった」とする。
噴石の証言も異なる。林さんは「大きくて50センチ、30センチほどが多かった」。佐野さんがいた山荘は噴石が屋根を突き破り、「数十センチはあった」という。小川さんは「軽トラックぐらいの大きさの石が舞い上がった」とする。証言した4人がいたのは、半径300メートルほどの範囲だった。
わずかな位置の違いで状況が異なる原因について、記事では次のように書かれています。
京大防災研究所火山活動研究センターによると、火山ガスや火山灰、熱風は風が強いほど拡散せずに直線状に運ばれ、噴火口近くほど、登山者がいた場所によって体験が変わる可能性がある。重い噴石は噴出する方向の影響の方が大きいとしている。
県警によると、鈴木さんらがいた山頂付近の御嶽神社から約500メートル南東の王滝頂上山荘までのエリアで最も多くの死者が見つかっており、火口東側の噴煙や火山灰の多くが流れた方角だった。
生死を別けた境。御嶽山の場合
生存者の多くの方が「生と死は紙一重。運がよかった」と語っていました。しかし、そのような状況のなかでも、できる限りのことを尽くされていたようです。生死を別けたかもしれない証言を集めてみました。
御嶽神社奥社にある建物の長さ十数センチの軒先で噴石をよけた。軒先で十分に体を隠せなかった蕪木さんは、リュックで頭を覆ってしのいだ。中にあった金属製の水筒は壊れ、金属製食器もへこんだが、けがはなかった。
口内は火山灰で固まり、鼻の穴も埋まったが、地面近くの空気で呼吸した。膝の肉がえぐれ、肩甲骨が折れていたが、「助かったのは帽子をかぶり、大きめのリュックを盾にできたからかもしれない」と話した。
視界もなくなったが一瞬、青空が見えた。「体が隠れる場所を探そう」。とっさの判断で登山道を外れて一ノ池がある北側に30メートルほど下った。地面との間に小さな穴が開いた岩を見つけて、頭と背中、左足をねじ込んだ。
(中略)
最初の爆発音を聞いてから約1時間後、暗闇に稲妻が3本光った。急に静かになり、視界が開けてきた。
(中略)
午後1時ごろ、泥の雨が降り始めてきたが、時折、晴れ間も見え「これなら行ける」と感じた。自力下山するという4人と離れ、一ノ池を突っ切り、二ノ池がある北側に走った
45リットルのザックを盾のように持って噴火口に向け、身長168センチの体を横にして、膝を折り曲げ、全身をなんとかザックで隠した。口を両手で覆ったが灰が入ってきた。ザックに石がバチバチ当たる音がした。呼吸を確保するため、人さし指で灰をかき出した。大きな石も降り、真っ暗で何も見えない。「大きな石が当たったら即死だ」。(中略)石は15~20分降り続けた
専門家の推測によると、今回の御嶽山の噴石は頂上付近で時速300キロ弱だったそうです。1センチほどの小さな噴石でも致命傷になる可能性もあるなか、頂上の御嶽神社周辺では直径10センチ以上の噴石が降り注いだそうです。中には直径に2~3mほどの軽自動車ような噴石もあったと聞きます。また、火口から1キロ離れた場所でも直径50~60センチの噴石が落下したとみられています。
噴石の大きさなどによっては防ぎきれないとはいえ、生存者の方で共通するのは大きな岩の陰に隠れたり、ザックで頭部や体を守ったりするなどして噴石を避けた方が多いようです。今回の御嶽山噴火で亡くなった方で、現在死因がわかっている56名の方のうち、55人が噴石による損傷死、1人が熱傷死だそうです。
火山防災対策について
今回の御嶽山の噴火は予測不能だったと言われています。しかし、噴火11分前に火山性微動が始まり、7分前には御嶽山上部のわずかな山体の隆起をとらえていたそうです。また、噴火の17日前に火山性微動の急増が一時的にあったものの、その情報について一般の登山者が知る術はなかったと言われています。
1979年、御嶽山が最初に噴火した際は早朝だったために被害が小さくて済みましたが、当時長野県がまとめた「御嶽山噴火と防災対策の記録」では、登山最盛期に発生した場合の被害について指摘しています。
今回の御嶽山の噴火を受けて、防災対策の見直しが行われている火山もあるようです。今後、一般登山者への情報公開のほか、避難シェルターや活火山の観測装置とリアルタイムで連動した警報装置の設置など、今回の惨事が今後の火山災害の軽減につながってほしいと思います。それと同時に私自身も火山情報に注意を払っていきたいと思います。
御嶽山
参考WEBサイト
紹介:sKenji