彼を知らない人でも、彼の写真やイラストは目にしたことがあるだろう。
ゲバラはアルゼンチン生まれの革命家でキューバの指導者。本名はエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。「チェ」は親愛の情をあらわす愛称とのこと。
ブエノスアイレス大学医学部時代に親友のアルベルト・グラナードとオートバイで南米周回の放浪の旅を経験。大学卒業後にも軍医になるのを避けるため、再び中南米を放浪し、ラテンアメリカ社会の現実に向き合った。
(ゲバラとグラナードの放浪はロバート・レッドフォードとヴァルテル・サレスらによって2004年に映画化され、日本でも公開された)
革命の戦士が日本で、広島で見たもの
南米出身のゲバラがキューバに渡ったのは、亡命中のメキシコでフィデル・カストロと出会ったのがきっかけだった。ゲバラはカストロに独裁政権との闘争に参加することを約束し、キューバに渡り、ゲリラ部隊の指揮官として革命戦争を勝利へ導く。
その後キューバの市民権を得て政府の要職に就いた。革命から7カ月後の1959年7月、ゲバラは通商使節団の代表として日本を訪問している。トヨタ、ソニーなどの工場を視察したほか、ゲバラ自身の強い希望で広島を訪れた。原爆死没者慰霊碑で献花を行い、原爆資料館を見学した。その時の印象が語られた雑誌の翻訳からは、ゲバラの「広島」への深い共感が感じられる。
非常に驚くべき証言は、14年前の広島と長崎での被爆の後遺症で、今年になっても106名の方が亡くなったということである。われわれは、犠牲となった都市、広島の地を訪れた。この街は、今日では完全に再建されていた。セメントのアーチによって飾られたセメントの棺の向こう側には、爆弾が落とされた建物の廃墟が見られ、犠牲者の記念碑となっている。身元が確認できた被爆死没者7万4,000人の氏名がすべて慰霊碑の中に納められている。・・・そして、その中には、比類ない炎と死が荒れ狂う中で命を失った実に多くの人間のやり場のない激しい怒りと深い絶望が収められているのである。
革命家として死んでいったゲバラ
ゲバラは「完全に再建された」広島の街に、14年前に苦しみながら死んでいった人々の、そして今もなお亡くなっていく人々の怒りと絶望を見ていた。
慰霊碑に併設して原爆資料館がある。そこでは胸を引き裂かれるような光景が見られる。戦争の暗黒の日々だけではなく、ビキニ環礁の近くで水爆実験が行われ、近くの海を航行していた日本の漁業者に放射能を浴びせた日々もまた展示されている。すべてが広島では新しく、恐ろしい爆発の後、再建されている。だが消すことのできない悲劇の痕跡が、この都市の上にも、新しい建物の中にも、元の場所に復元された多くの建物の中にも漂っている。しかしながら、広島は、継続してはいないと見破られる。すでに死んでしまったものを蘇らせるように、同じ都市の姿を出現させることは、なかなか難しいことであるという印象である。
広島でゲバラが新聞記者に語ったという「なぜ日本人はアメリカに対して、原爆投下の責任を問わないのか」という言葉も有名だ。
この言葉にはゲバラの考えがよく表れていると思う。再建された広島の街の姿の中にさえ、14年前の悲劇を感じ取るほどに、魂の奥深くで共鳴したからこそ、アメリカに従属しているようにしか見えない日本の姿に彼は大きな疑問を持ったのだ。
そこにはゲバラの、そしてキューバ革命を闘った革命家としての反米感情が見て取れるが、彼はアメリカによる支配に徹底して抵抗しようとしただけではなく、同時にソ連による東ヨーロッパ支配も批判している。
ゲバラは政治的に反米だったということではなく、「服従」を強要する全ての「権力」に対抗し、「抑圧」を世界中から消し去ることが自分の使命だと信じていたのではないか。そういう意味で彼もまた、不服従の闘志であり、社会正義の人だった。
我々にとって社会主義の確かな定義は人間の人間による搾取の撤廃以外にない
もし私達が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者だと言われるならば、出来もしない事を考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、「そのとおりだ」。
純粋な理想主義者だったゲバラはしかし、理想の実現の手段として「武力闘争」を貫いた。ソ連批判の演説を行った後、彼はキューバを出国する。コンゴ、チェコスロバキアを回り一時帰国した後、新たな革命の場として向かった先はボリビアだった。
世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から深く悲しむ事の出来る人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。(5人の子供達に遺した手紙の一部 キューバを去ってボリビアに向かうに当たり自分の死を予感して)
1967年10月8日、アンデス山脈のイゲラ村近くの戦闘で負傷し、ボリビア政府軍のレンジャー部隊に捕えられる。この部隊はアメリカの特殊部隊やCIAと関係があったと言われる。そして翌日、チェ・エルネスト・ゲバラは射殺される。最期の言葉は、
落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ
だったとされる。くじ引きでゲバラ殺害の役目を引き当てたが、いざゲバラを前にして3発の銃弾を急所から外してしまう殺害者に対して語りかけられた言葉だという。「一人の人間」とは、英雄ではない一人の人間という意味だろうか。あるいは、理想を貫く過程で死にのぞむことを本望とする言葉だったのだろうか。
「これは偉業の物語ではない 同じ大志と夢を持った2つの人生がしばし併走した物語である」