2014夏休みレポート Vol.1 ~飛騨高山 その1~

飛騨高山・古い町並み

待ちに待った夏休みは8月8日~12日。

どこへ行こうかといろいろ思案した結果、まとまった休みだからこそ行ける場所ということで、当初は縦走登山が有力候補だった。

しかし・・・。

休暇の一週間前ほどから台風の接近が予想され、天候が荒れる可能性があった。「よりによって・・・」と思いながら天気予報を注視する日々が直前まで続いた。「台風よ、それろ!もしくは早く通り過ぎてしまえ!」と祈ったものの、願いは通じず、ちょうど夏休みに被るように台風が近づいてきた。

台風のおかげで、どこで何をするか休暇初日まで迷ったあげく、とりあえず以前から行ってみたいと思っていた岐阜県の飛騨高山へ行き、観光をしながら台風一過を狙って白山に登ることにした。

白山は、石川県と岐阜県にまたがる日本百名山であり、日帰り登山も可能である。しかし、自宅がある静岡からは地理的に遠く、週末2日間ではこれまで行くことができなかった北陸の名峰だった。

休暇初日の午後、静岡県三島市にある自宅を車で出発し、途中、本栖湖、精進湖に寄った後、甲府、諏訪を経由し、安房トンネルを通って高山へと向かったのだった。

飛騨の小京都・高山への憧れ

飛騨高山は一度行ってみたいと思っていた場所だった。

とは言ったものの、同市を訪れるのは今回が初めてではない。以前、白川郷の観光か、どこかの山を登った帰りだったかは忘れたが、長野県の松本市へ行く途中に高山を通ったことがある。その時、同市街地で軽い渋滞にはまり、ふと路地に目をやると「古い町並み」が見えた。わずか数秒程度の時間だったものの印象的な光景だった。そのほかにも複数のお寺があり、同市に興味を覚えた。帰宅後、気になって調べてみると、飛騨の小京都と呼ばれる古い町並みと寺院群が見どころの町だと知った。おまけに私が好きな城下町ということもあり、それ以来、いつの日か高山へ行こうと思っていた。

飛騨高山・古い町並み

高山市の歴史

岐阜県高山市は本州のちょうど真ん中あたりに位置し、東には北アルプス、西には白山などの名峰がある。標高約600mの場所にある盆地で、昼と夜、夏と冬の気温の寒暖の差が大きい。特に冬の寒さは厳しく氷点下15度近くまで下がることもあるという。

厳しい自然環境ながらも昔から人が住んでおり、縄文時代の遺跡も数多く見つかっている。
山林に恵まれた飛騨地方は古くから木造建築技術に優れており、奈良時代には「飛騨の匠」と呼ばれる同地方の大工が、都の宮殿や寺院などの建築に携わっていたという。

高山市の顔と言われる「古い町並み」は、戦国時代後期あたる1586年にこの地の国主となった金森長近によって作られている。長近は、現在の高山市街東側に位置する小高い山に1588年から16年の歳月を費やして高山城を築いており、城下町も同時に整備している。町は城の周りにある高台に武家屋敷、一段低い宮川沿いの土地に「古い町並み」である町人の家が作られた。城下町に東西南北の街道を引き込んで商業に力を入れるとともに、城の東側には京都の東山を参考に寺院群を設けている。ちなみに高山城は作られた当時、日本で5つとない見事な城だったそうである。

長近以降、6代、107年に渡って金森氏が高山の地を治めたものの、江戸時代中期の1692年、幕府より国替えを命じられて現在の山形県に移動となった。その後、城は破却され、高山は幕府直轄地となって明治まで幕府任命の代官が治めていたという。

飛騨高山の「古い街並み」

高山市で一番の人気観光スポットは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている「古い町並み」である。町並みは、同市街地を流れる宮川と高山城があった城山公園の間にあり、建物は現代の家と比較するとかなり低い造りとなっている。これは、身分制度が厳しかった当時、町人は豪華な建物を作ることができなかったために屋根が低いのだという。居住には不便かもしれないが、個人的にはこの低さに時代が感じられていい。

普段、「古い町並み」は多くの観光客があふれていると聞く。しかし、私が訪れた時は台風が上陸し通過しようとしていたために人通りは少なかった。狭い路地の両脇に焦げ茶色の古い家が軒を連ねている光景は、まるで時代劇の中のワンシーンのようであった。

<2014夏休みレポート Vol.2 ~飛騨高山 その2~ へ続く>
 ※「飛騨高山 その2」は、東山寺院群と高山城跡です。

参考WEBサイト

Text & Photo:sKenji