いまから3年前、廃墟のようになった町に小さな双葉が芽を出した。ガレキと呼ばれる被災物に覆われ、町はまだくすんだモノトーンの世界だった頃のことだ。津波に襲われた後、晴れた日には塩が浮き上がるような固い地面から芽生えた若葉に、たくさんの人たちが心を撃たれたという。
芽生えたものの、ガレキだらけで塩分まで含んだ土地にひまわりが生きていくのは大変なことだった。まず災害地には水がない。照りつける日差しに地面はすぐに乾いてしまう。人々はペットボトルに水を入れて、ある人は軽トラックで、ある人は自転車でひまわりの世話をしに走ったという。家や建物が無くなって、やたらと強い風が吹き荒れるから、茎が倒れてしまわないように支柱も立てなければならなかった。
津波の記憶から、海に近づくことができずにいる人も多かった。それでも災害地に芽生えたひまわりを枯らしたくない気持ちも強かった。日差しが強い日は葉がしおれていないか心配で、風のある日は倒れはしないかと心配で、毎日毎日ひまわりの元へ通い、語りかけ、小さな成長を喜び合っていたという。
「倒れるんじゃねえぞ!」
「大きな花を咲かせてね」
石巻・南浜のひまわりプロジェクト、ひろ子さんの「ヒマちゃん」、がんばろう石巻!のど根性ひまわり…。東北の海辺の町々のいたるところで、人々とひまわりのたくさんのたくさんの物語が生まれた。
手塩に掛けて育てたひまわりが花を開いたとき、励まされていたのは自分だったんじゃないか――。
ひまわりを育ててきた多くの人たちはそう感じたそうだ。まぶしいまぶしいひまわりの花。語り合い、心配し合い、支え合っていっしょに咲いたひまわりの花。
今年咲いているひまわりは、あの年から数えて四代目。東北のひまわりの子孫たちは、東北だけではなく日本中、世界中で花を咲かせているという。
写真と文●井上良太
石巻・南浜町地区にひまわりを育てた「め組JAPAN」のホームページ