岩手県はとにかく大きいというイメージがありましたが、実は岩手県のことはあまり知りません。
野球が大好きなので岩手県の花巻東高校は知っていました。甲子園常連校でしかも実力は全国トップクラス。西武ライオンズの菊池雄星投手や日本ハムファイターズの大谷翔平投手は花巻東高校の出身です。
あと岩手県は新沼謙治さんの出身地。。。新沼謙治さんは母親がファンなのでちっちゃい頃から知っているんです。
とってもいい歌です。ふるさとは今もかわらず
↑↑岩手県出身の新沼謙治さんが、ふるさとの復興を願い作った歌です!
旅行2日目の夜、新幹線で一関へ向かいました。
3日目、一関から平泉へ。再び一関へ戻りドラゴンレール大船渡線で気仙沼へ。
気仙沼からはBRTで陸前高田に向かいました。外はかなりの雨です。。。
陸前高田市は東日本大震災で甚大な被害を受けたところです。
震災で唯一残った一本の松は『奇跡の一本松』と呼ばれ陸前高田のシンボルになっています。
陸前高田に着き、BRT陸前高田駅を降りると、言葉という言葉がまったく出てきませんでした。
だだっ広いこの場所には、見たこともないような巨大ベルトコンベアと工事車両だけがありました。かつてここに多くの人が住み、街があったことなどまったく想像できません。それどころか、ここは本当に日本なのかと思ってしまうくらいのものでした。
このベルトコンベアは、かさ上げ工事のための土砂を運ぶためだけに作られたものらしいのですが、これを作るだけでも相当たいへんなのが一目でわかります。そして何度も何度も土砂を運んでかさ上げ工事をして、工事が完了したら最終的にはベルトコンベアはおそらく撤去するのでしょう。いつになるかわかりませんが、考えただけでも気が遠くなるような話です。
雨の中、奇跡の一本松に向かって歩き始めました。
7万本の中から、たった1本残った松を何とか守っていこうという懸命の努力も最後は枯れてしまいました。今はモニュメントとして残っています。
奇跡の一本松をモニュメントとして残す工事には1億5000万円の費用がかかったそうです。地元の住民からは工事の是非を巡っていろいろとあったそうです。意見が分かれるのもしかたがないことかもしれません。
奇跡の一本松を見た後は宿泊先をめざして歩き始めました。
「キャピタルホテル1000」
3日目の宿泊先です。
下調べでは一本松からそう遠くない場所にあるはずのホテルは歩いても歩いても、見つからず激しい雨の中、ずぶ濡れになりながら30分くらい歩きました。
かなり遅い気づきですが、何かおかしいと感じ、ホテルに電話することにしました。
どこにいますかと聞かれても、目印になるものは何もなくかなり前にガソリンスタンドがあったことを伝えると、すぐに迎えに行くのでその場を動かないでと言われました。
少しすると年輩の男性が車で迎えに来てくれました。わかりにくい所ですみませんと何度も頭を下げられてしまい、感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。思えば東北に来てからいろいろな方と出会い、お話をさせていただきましたが出会ったすべての方が考えられないくらい親切でした。大げさでもなく、なんでそんなに親切なの?って思うくらい親切していただきました。
ホテルに着くとすぐにタオルが用意されていて助かりました。建物はとてもきれいで、とにかく料理がおいしい。電話で「迎えに行きます」と快く言ってくれたフロントのOさんには宿泊中もとてもよくしていただきました。
お世話になったOさんに話を聞くことができました。
Oさんは震災当時はまだ高校生で、春休みに友人と一緒にいるときに震災に遭ったそうです。震災時は中学校だか高校だったか忘れてしまいましたが、そこに避難
をして家族と連絡も取れずに一夜を過ごしたそうです。家族と連絡も取れず安否もわからずとても不安だったと思います。幸いにして家族は無事だったそうで本当によかったと思います。陸前高田市は平らな道が多く自転車での移動が容易でとても住みやすい街だったそうです。どこでも同じかもしれませんが、津波が来ていることはわかっていたのですが、ここまで大きいものが来ているとは想像できずに逃げ遅れて津波の犠牲になってしまった方も大勢いたそうです。
お話を聞いていて初めてわかったことなのですが、震災前キャピタルホテル1000は7階建てで高田松原沿いに建っていたそうです。
(どうやら、さぶはそこをめざしていたようですね。。。)
震災時は建物の4階まで浸水してしまったというのですから驚きです。
いろいろ聞きたいことは頭の中にはあったのですが、どうしてもこんなこと聞いたら失礼になってしまうのではと思ったりしてしまい、なかなか言葉が出てきませんでした。また聞かせていただいたお話に胸が詰まり気の利いたこと一つ言えず、自分が発している言葉がとても薄っぺらいように感じてしまいました。
当たり前のようにあったものが、あの日を境になくなってしまいました。
しかし、いつの日かまた以前のようにたくさんの人たちが住む街に戻ることを心から願わずにはいられません。
がんばろう!陸前高田
ずっと応援します!
■さぶろうたが見た東北 【その3】~陸前高田