6月に入って何日? 何週間? って頃(つまり6月初旬ってこと)、伊豆ペニンシュラの東海岸、リゾートの町・熱海に行ってきました。すでに真夏のような日差しがホテル群の白い壁と路地の日陰にカキーンとしたコントラストを付けてる様子は、ナポリかカリブ海かどこか異国の表情に感じられるほど。
今日はそんな熱海の町を、か〜るくご紹介♪
熱海で温泉遊び〜って先入観、それもう古いから。
熱海って言うと、温泉、芸者、大宴会、翌朝はぼろぼろになって都会に帰って行く……なんてイメージがあるかもしれないけれど、ノンノン♪ そんな熱海はいまはどこにもありません。東京駅から新幹線で40、50分で到着できて、豊かな出で湯と美味しい海山の幸、そして様々な地物のアトラクションがあなたを歓迎してくれるスペシャルな旅行地、なんですよ♪
6月に入ったばかりのとある土曜日、熱海のビーチを歩いていたら、気が早いこと! すでにビーチバレーのコートは整備されているわ、その先の入り江では家族連れが海水浴までしているわ。浮き輪でプカプカ。いたずらっ子が浮き輪をユサユサ。
ふつうに夏じゃん! って感じのリゾートな光景が目の前に広がるのです。
そして家族連れやカップルさんたちが海水浴しているちょい先、岩場の先端あたりを覗いて見ると、ホンダワラなど海藻の林の中で魚たちが優雅に泳いでいるではありませんか。なんと! この海岸ではよく見かけるカワハギやネンブツダイに交じって、居着きのアジの姿まで!!
回遊することが多いアジですが、食べ物が豊富な磯に通年居着いてしまうアジがちらほらいるのが伊豆半島。もちろん栄養状態がいいからプリプリのジュワーで最高級品! あ、ごめん、つい釣り人の本音が出てしまった。。
いつもは食卓でお目にかかるアジさんと、浮き輪でゴーゴーの海水浴で出会えたりするのも、海が豊かな伊豆ならでは! なんですよ。
恋人よ、伊豆へ来なされ!
首都圏からほど近くて、終戦からしばらく後にはハネムーンのメッカとして、愛情にあふれる若き人々(いまは70代以上の方々)に来てもらっていた伊豆だからなのでしょうか、こんなモニュメントがあるんですよ。かすかな記憶をたどれば、たしか10年くらい前にはあったかな。
その名も、「恋人の聖地」モニュメント!
メビウスの輪みたいなのに捕われつつも、そこから飛び立とうと羽根をいっぱいに広げる鳥の像。造形のコンセプトを考えちゃうと、考えて、考え込んでしまうかもしれないけれど、そこは日本のナポリの明るさでパーッといっちゃって!
像の下には手形を彫り込んだ誓いの石。(ふむふむコンセプトメーカーはかの桂由美さんなのか。ちょっと納得!)
「お一人サマ」の場合の誓い方という解説文まで用意されている周到さ(優しさ)なので、こころある方、是非一度は足を運んでみられては?
S&Bが進行形の熱海ならでは姿
冒頭にちらっと書いたみたく、首都圏から宴会客を会社単位でごばっと誘致して、パンパカパンと派手な宴会をやって一泊してもらって、ってスタイルが熱海型温泉街のあり様だった時代はたしかにありました。
でもいまやその手の観光ホテルや、その高級版の会員制ホテルとかはとうに廃れてしまって、スクラップ&ビルドが進行中。熱海の町って急傾斜地だからとにかく土地が限られている。限られた土地にホテルとかの観光施設が林立しているから、「廃墟好き」には堪らないような景色が町の随所にあふれていたりもするのです。
下の写真は国道134号沿いの一等地にある、おそらくリゾートマンションの跡地かな。
知られざる歴史の町だったりもする熱海♪
明治の文豪・尾崎紅葉の「金色夜叉」の貫一とお宮、なんたって、いまじゃテレビのクイズでも正答率10%に届かぬマイナーな物語かもしれません。でも熱海すなわち貫一お宮じゃないんです。それが証拠に、熱海のビーチにはこんなに魅力的な二人の恋人の像が建てられているのです。
江戸は安政の頃、この地に起きた漁民一揆を率いた咎で、八丈島に流される途中に伊豆大島で死んだ平七と愛人の像。なぜ彼女は平七のお尻をなでなでしているのか。なんか人間のある一面を造形として表現しきった作品なのではないかと思う。
彼らの姿は熱海のビーチに下りて行くスロープの途中に設えられていて、早春にはオオシマザクラの変種と伝えられるピンク色の濃い桜の木の下に、夏ともなれば生い茂る桜とともども烈い日差しをさける人々の日除けとされる場所に、いまもずっと、碑文をしたためた武者小路実篤が85歳の時代から半世紀以上も立ち続けている。
海へ下った坂を登り返しながらのお楽しみ
熱海は坂の町。海辺の町はどこもそうだとお思いの方も多いだろうが、その出自はその土地の地球規模の運動との関連が近いか薄いかにより様々だ。伊豆半島はただでさえ地質的な活動が活発とされる日本列島の中でもとくに烈な地域のひとつ。熱海の坂道はフィリピン海プレートに乗っかった海底火山の集まりだった伊豆半島が、いよいよ日本列島に衝突しようかという時に猛然として噴き上げた巨大火山、多賀火山の成れの果てとも言われる。
源頼朝が伊豆に幽閉されていた時代には、十国峠(伊豆、駿河、甲斐、相模、武蔵、上総、下総、安房……と十カ国を見渡せることから三代将軍実朝の後に名付けられたと言われるが)は、活動期の伊豆大島と同様に夜中には火柱を上げ続けていたという記録も残されているとか。いまも時折噴火や火山性の地震動を記録する伊東市東方の海底火山は、巨大多賀火山の芯か、あるいは芯からそれた場所でくすぶり続けている地球の動きを私たちに伝えるものかもしれない。
地球の時間軸からくらべれば、定規の当てようもないほどに、はるかに限りない長う時間との戦いなのだが。