そうだ!今日は宮城県民防災の日だ!

36年前の宮城県沖地震について

昨日は東日本大震災、発生から3年と3カ月。

そして今日は県民防災の日。
36年前の1978年6月12日17時14分に発生した宮城県沖地震によるものだ。

36年前…当時2歳だった私(即座に計算しないように!)
夕方の子ども番組をつけておけば一人で喜んで観ているのだが、その日に限って母は裏の畑へと連れて行き、足を踏み入れた瞬間、立っていられない程の横揺れに見舞われた。
テレビのある茶の間へ戻るとサッシのガラスが全て割れていて、私の指定席は砕け散ったガラスだらけだったという。
母よ、ナイス判断、ありがとう…。

それからと言うもの、宮城県にはどうやら30年周期で大きな地震が来ることがわかり、20年以内に発生する確率99%…ってそれ確実に来るじゃん!と宮城県民はそれがいつ来るのかいつ来るのかとビクビクしていたのだ。

地震の多い土地、宮城県

その後も2003年7月26日の「宮城県北部連続地震」
ごくごく一部の地域で一日に震度6が3回も発生した。
自宅の女川は震度3だったのに、会社付近の東松島はは震源に近く震度6!
夜中にテレビの震度を見て自分の目を疑った!。
そのころ2番目の子どもがお腹にいて、後片付けでよくお腹が張った。
会社も付近の道路もめちゃくちゃになった。

そして2008年6月14日の「岩手・宮城内陸地震」
その時は3番目がお腹にいて、上の子とブロック塀から離れて道路の真ん中にヨタヨタと座り込んだ。
その後の生中継で山ひとつが崩れ、橋が落ちた光景は本当にショッキングだった。

そして2011年3月11日…

「これが来るって言われてた宮城県沖地震だ!絶対にそうだ!本当に来てしまった!」
地面と一緒に揺れながら、そんなことを考えていた。

でも、これは宮城県沖地震を遥かに超越した、とんでもない複合地震だった。

しかも過去の地震は6月、7月の温かい季節に集中していたが。
雪も降る3月の地震…本当に堪えた。

今日は県民防災の日。
地震の被害を思い出し、語り、教訓にする日。
地震の多い土地に生まれ育つ人の宿命なのかもしれない。
今日はそんな日…

那須野公美