南相馬市の原町火力発電所近くで、アンティ~クな油圧ショベルを見つけた。なぜだか解らないが「恋人も濡れる街角」を思い出して、無骨な建機を相手に口ずさむ。
場所は発電所のすぐ南。かつては海水浴場で、トイレや駐車場があったあたり。震災から1年目の頃には、海浜公園のトイレが津波で土台までえぐられた無惨な姿で残されていたけれど、いまはもう駐車場の舗装以外に建築物はほとんど見当たらない。
そんな中にたたずんでいた時代を感じさせる油圧ショベル。いま時ではありえないくらいに角ばったデザインの建機だが、もちろん壊れて放置されているわけではない。ショベル(バケット)を地面にピタリとつけて佇んでいるのは、人がいない時に油圧ショベルがとる保安上の姿勢の一形態。つまり、いまも「現役」として働いているパワーショベルなのだ。
「MITUBISHI」のブランド名と「MS120」の型番でググってみたら、この油圧ショベルは1985年のグッドデザインを受賞した名機だった。
何年製かまでは分からないが、製造元の三菱重工が1986年には油圧ショベルの事業を別会社に委譲。87年からは新キャタピラー三菱と社名を変え、そのせいかどうかは分からないが三菱のロゴではなくアームに「キャタピラー」のロゴが描かれた画像も見つけた。「MITSUBISHI」のロゴオンリーで頑張ってきたところを見ると、この油圧ショベル、おそらく1980年代前半の生まれと見受けられる。御年30数年の大ベテラン。
似たような時代の住友建機や日立建機の油圧ショベルにお世話になったことがある者としては、いまでもホントに健在なのか。はたしてちゃんと動くのかと少し心配にもなったが、ネット上には動いている姿の動画もあった。ただ、動画を見てみると関節部分の摩耗はどうにもならないようで、ハガネが軋む音や、時代物のディーゼルエンジンの咳き込むような重低音が痛々しい。
この時代の猛者たちはすでに町中の現場は卒業していて、山間の開発現場か資材置き場の積み込み用という第二線に退いていることがほとんど。騒音と排気が時代にそぐわないからだ。
しかもキャビンは薄鉄板を曲げプレスで加工しただけ。前面ガラスも脆そうだ。腕を横方向にスライドさせるチルト機構はないようだからまだしも、でっかい岩を持ち上げようとして操作を誤ると、自分でキャビンを潰しかねない怖さもある。
それでもMS120は、南相馬の人たちの憩いの場だった海浜公園エリアの復旧の主役の1機として、いまも最前線で働いているようだ。周囲を見渡すと、震災1年未満の頃とそれほど変わったようには思えない。住民の人たちが荒れた農地で慰留物探しをしていた光景を思い出す。
「MS120」で検索すると、海外向けの通販サイトの記事がやたらと目立つ。30年選手の彼らにとって、いまや活躍の場の大半が海外なのかもしれない。
シリアルナンバーも建造された年も分からないけれど、それでも彼は南相馬のこの地で今日も働いていることだろう。この地の復活のために、体中をギシギシ軋ませながら、なおもきっと彼なりの日の丸を背負って。
口ずさんでしまった歌の歌い手は、宮城・女川の出身だ。彼は故郷の高台に「俺たちが守る」との横断幕を掲げていたのを思い出した。場所は違うがMS120の思いも同じだろうと、なぜか確信した。
機会があれば再会して、できればちょっとでいいから運転させてもらいたい。日の丸の背負い方にはいろいろな姿があることを、彼なら教えてくれるように思うから。
写真と文●井上良太