息子へ。東北からの手紙(2014年4月30日)

あなたはレスキュアーたり得るか

GWの東北ツアーの最終日、白河市の郊外にある「アウシュビッツ平和博物館」を訪ねた。昨年の6月以来だから約1年ぶりの訪問だ。

前回訪ねた時には、緑が鮮やかな敷地内にたくさんの花々、とくにオオデマリの白い花が咲き誇っていたのが印象的だった。

ここはナチスドイツが占領地ポーランドに建設した強制収容所、アウシュビッツの遺品などをポーランドの国立博物館から借り受けて展示している博物館。収容所の暮らしを克明に物語る遺品には心臓を鷲掴みにされる。70年前の過去の歴史としてではなく、自分事として感じ取るために設けられた博物館なのだということがよく分かる。

昨年は、雨上がりの晴れた空の下を歩きながら博物館の人といろいろな話をした。ぶらっと立ち寄っただけの自分に、実にていねいに話をしてくれた。話といっても博物館の中の展示物についての説明ではなく(博物館そのものは、概略を説明しているビデオを観て、あとは自分たちの目で見て、自分たちで感じ取ってくださいというスタンスなのだと思う)、市民ボランティアで運営していることや、やはりボランティアの手で建設が進められていた原発災害情報センターのこと、その入り口のタイルに込められた思いなど。

当時はちょうど参議院選挙の前で、政治に関する話も少しあった。「イデオロギー」という立ち位置から離れた立ち位置を模索しているかのような口ぶりに魅かれるものがあった。

今回は降り止む気配も見せない雨の中、博物館のエントランスで立ち話をした。博物館の彼女たちと話したかったのはこんなこと。

それは昨年からの約1年の間にあった様々な、そして深刻な出来事のこと。

参院選があり、その直後に事故原発の汚染水が発表され、にも関わらず「完全にコントロールされている」との言葉と東京オリンピックの招致、さらに特定秘密保護法、東京都知事選挙、消費税引き上げがあり……。

出来事のそれぞれは非常に大きかった。多くの議論があったし、自分も何らかの行動を起こしたこともあった。でも、それぞれ、過ぎてしまえばまるで以前とそれほど大きく変わることなく、庶民は庶民の生活を続け、時間が過ぎているように感じる。自分たちは悪しき変化に鈍感になっているのではないか。そのことを彼女たちと話したかった。

あまり意識されない間に、確実に変わって行っている。

どんどん悪い方に向かっている。

世界戦争が起きた時とも共通するものがあるかもしれない。

振り返って考えれば、1年前から何が変わったのか見えてくる。

ため息の出るような話だあった。落ち込むしかない話でもあった。

外から雨の音が聞こえてくる中、そんな言葉を交わした後、博物館の館長が言った。

この博物館でいちばん明るいのはそこ。レスキュアーズのコーナーなの。

レスキュアーズとは、ナチスによって多くの人たちの命が奪われていく中、命がけで他人の命を救った人たち。杉原千畝、コルベ神父、コルチャックら著名な人たちばかりでなく、ナチスに迫害される人たちを救った勇気ある市井の人たちのことが、ここアウシュビッツ平和博物館では紹介されている。

時代の変化は時として、目には見えにくいものかもしれない。ある日突然、理不尽や横暴、暴力を目の当たりにした時、わたしたちは勇気ある行動をとることができるだろうか?

答えは多分、できるのだ。なぜなら過去にそのような行動をとった仲間がいるからだ。

レスキュアーズ。勇気をもって行動した市井の人たちのこと。これから自分も勉強しながら紹介していきたい。

文●井上良太