「鼻血」を否定するか信じるかという踏み絵
話題のスピリッツを買いに町の本屋に行くとすでに売り切れだった。でも近所のコンビニで最後の1冊を求めることができた。
目当ては当然「美味しんぼ」(原作:雁屋哲 作画:花咲アキラ ビッグコミックスピリッツ/小学館)の第604話。
前号で福島での「鼻血」が物議を醸したことについては、正直なところ「はなはだ困った話」だと感じていた。ネットでも政治家の間でもマスコミでも、核心的な関心は「はたして原発事故の被災地で鼻血に困る人が存在したのかどうか」という一点に絞られているように見えたからだ。
何度か福島に行ったことはあるが自分自身に鼻血の経験はない。しかし自分の周りには震災直後にTwitterで広まった「福島から避難した小学生が静岡の病院で鼻血を流して死亡した」という情報を打ち消すことに懸命だった友人がいる。今回の美味しんぼの鼻血問題が持ち上がった際も、FB上で否定するキャンペーンをいち早く繰り広げた医療関係の知人もいる。
その一方、「実際に鼻血は当たり前にあった話だよ」と話してくれる仲間もいる。尊敬する太田隆文監督が事故原発の実話に基づいて制作した映画「朝日のあたる家」では、鼻血は被曝による健康被害のメタファーとして描かれていた。
自分の周りには鼻血に関して両方の立場の人がいる。
なにより厄介なのは、鼻血があったとの立場に立つ人は、原発事故の実害を受けた場所で生活再建を頑張っている人たちの努力を否定する人でなし。逆に鼻血はガセだとの立場をとる人は、原発事故被害を見て見ぬふりをする極悪人――。そんな色分け、あるいは踏み絵のようなことが進められているかのような恐ろしさがあることだ。さらにその色分けには脱原発か原発推進のどちらをとるかという事柄までかぶせられそうな勢いだった。(関連性は乏しいと思うのだが)
604話で描かれたストーリー
昨日発売された週刊スピリッツに掲載された604話の冒頭では、こんなセリフが並ぶ。
井戸川:私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被ばくしたからですよ。
松井:大阪で、受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象に、お母さんたちが調査したところ、
松井:放射線だけの影響と断定はできませんが、眼や呼吸器系の症状が出ています。
松井:鼻血、眼、のどや皮膚などに、不快な症状を訴える人が約800人もあったのです。
山岡:鼻血は放射線で炎症が起きたからですか。
引用元:週刊ビッグコミックスピリッツ 2014年5月12日発売 5月26日号
言うまでもなく、井戸川克隆さんは前福島県双葉町長。松井英介さんは岐阜環境医学研究所所長で双葉町放射線アドバイザー(だった※)方。山岡士郎は物語の主人公。
(※この件で双葉町放射線アドバイザーを罷免されたとの情報あり)
話は、放射線によって水分子が切断されて反応性の強いラジカルという物質や、消毒にも使われる過酸化水素水になり、毛細血管の細胞やDNAを傷つける――という鼻血メカニズムの仮説が、「まだ医学界に異論はありますが」という前提で説明される。
さらに、避難指示が出されるのが遅かったことなどについての国への不信感、2013年末まで避難所が継続していた埼玉県の旧騎西高校での避難者の生活と場面が展開していく。海原雄山のセリフが重い。
海原:あの方たちの平和な生活を奪った東電と国は、あの方たちの人の良さ、我慢強さをいいことに何も責任をとっていない。
引用元:週刊ビッグコミックスピリッツ 2014年5月12日発売 5月26日号
そして、福島大学行政政策学類准教授の荒木田岳さんの次の言葉に、みなが黙り込むというシーンでこの号の話は幕を閉じる。
荒木田:福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います。
引用元:週刊ビッグコミックスピリッツ 2014年5月12日発売 5月26日号
場面が展開していく中で、山岡士郎が反目し続けてきた父・海原雄山の身を案じるシーンも織り込まれる。話はクライマックスに向かって進んでいる雰囲気だ。
鼻血の有無より大きなこと
海原のセリフにあるように、また発行元である小学館の声明に「議論をいま一度深める一助となることを願って作者が採用したもの」とあるように、物語は原発事故とその影響の再検証を世に問うものになるのだろう。どんなに少ない量であっても、放射性物質を体内に取り込んだ際に発生する内部被ばくは非常に恐ろしいものなのだと。
やや荒唐無稽なのだが、604号を読んでいてもうひとつ別のストーリーの可能性もあるのではないだろうかと思いついた。それは「鼻血があったかどうか」、さらには「鼻血が被曝によるものかどうか」ですら問題ではなくなってしまう展開。しかも、604号の冒頭のセリフで鼻血と被曝を直接結びつけているにも関わらず成り立ってしまう。
井戸川前町長のセリフを受けて、松井さんが大阪での調査の話をつないでいたが、大阪で焼却された被災地がれきは岩手県のものだった。この点にはネットでも批判が集まっている。岩手のがれきなら線量が低いのではないかと。焼却することで放射性物質が濃縮されるとか、放射性物質はたとえ少量でも内部被ばくの被害はあるとの主張では、これまでの平行論を繰り返すことになりかねない。しかし、こういう話ではどうだろう。
鼻血という現象そのものはとくに珍しいものでも何でもない。鼻を強打したわけでもないのにツーっと鼻血が出た時に、「チョコレートの食べ過ぎ?」と言われるくらい、ありきたりのできごとだ。しかし、鼻血に放射能災害という要素が加わると、まったく意味が違ってくる。
広島や長崎で被爆した人たちの中で、幸い外傷もなくぴんぴんしていた人が、鼻血、歯茎からの出血、脱毛、そして倦怠感から寝込み、やがて亡くなっていった話は多くの人が記憶しているところだろう。チェルノブイリでも同じような症状が報告されていると聞く。
つまり、仮にただの鼻血であったとしても、そこに原発事故という要素が加わることで惹起される感情は、ただの鼻血とはまったくの別物になるということだ。原発事故の被害を意識する人たちにとって鼻血が出るということは、将来にわたっての健康への影響や、こどもたちの未来を案じずにはいられなくなるくらい、重たいものに違いない。
極めて重篤な不安。そこにフォーカスすると、話は福島だけでなく全国の問題になる。
鼻血がチョコレートの食べ過ぎなんていう可愛げのある話ではなくなった2011年3月以降の日本。井戸川さんがいうように、実際に被曝している人も少なくない。しかし、どれだけ被曝したら健康に影響が出るかについて、少ない側での定見はない。
低線量被ばくの健康への影響は、あるかもしれないし、ないかもしれないといわれる。ストレスなど他の要因の陰に隠れて、統計的に計ることができないからだという。しかし、「どうか分からない」は論理的に「ない」こととイコールではない。「あるかもしれない」ということだ。
健康被害のボーダーがどこにあるのか、地図の上で示すことも本来できないことだ。にも関わらず政府関係者はことさらに問題を「福島県」に限局しようとしてきた。汚染物質が県境で止まることないことくらい、小学生でもわかる話なのに。
そして、福島の人たちに対して不安を感じる必要はないと繰り返す。故郷に戻ってもらう政策を推し進める。しかしその不安を引き起こしてきた原因の最たるものは何か。
その不安を引き起こしてきた原因の最たるものは何か。
原発事故である。
原発事故を起こした当事者は誰か。政府と電力会社である。
極めて重篤な不安を引き起こした当事者が、不安を感じる必要はないと繰り返す矛盾。
鼻血が出て「もしかしたら…」と不安に感じるのは原発事故があったからだ。被曝の程度や影響がどれくらいかわからなくても、大阪や九州の主婦がこどもの鼻血と原発事故の関連を不安視してしまうのも、原発事故の罪深さを示すものだ。だって原発事故さえなかったら、鼻血の原因はチョコレートかピーナツの食べ過ぎで、笑って済ませるような些細な出来事だったのだから。
原発事故によって日本中を覆った不安。もはや問題は福島県だけに限定されない。この関心の高さをテコに、環境が一変したという認識を日本中で共有できないだろうか。
デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション
この号のスピリッツには、大震災に材をとった作品がもうひとつ掲載されていた。「おやすみプンプン 」や「ソラニン」で知られる浅野いにおの新作「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」、連載第2回。世界をそれ以前と以後に分けることになった「あの日」から先の世界を生きる少女たちの日常が描き出される。
財政破たんした少子高齢化社会でブラック企業の奴隷となり年をとり…
砂漠化した東京で私は月の民として暮らすんだ……
ふひゃははは!!
楽しみ――っ!!
えへっ
えへっ
えへっ。
引用元:週刊ビッグコミックスピリッツ 2014年5月12日発売 5月26日号
そんな会話を交わしつつ、あの日、8月31日を過ごしていた小山門出と中川鳳蘭。戦争ゲームをネット対戦していた門出の部屋に父親が入ってきて、リアルな戦争が始まったことを告げる。
戦争といってもそれは、M8.0の巨大な揺れをともなって出現した巨大円盤。東京上空を覆う円盤には米軍が新型爆弾「F」を投下するも、円盤は無傷で3年に渡ってほぼ動きなく東京の空に居座り続ける。街はF線に汚染された。
画面にはACの「すてきななかま」のアニメ。死者は8万1517名、行方不明者1万4708名。円盤は侵略者なのかとの質問に政府答弁は「…調査中です」。円盤に覆われても中止されることなく続く東京オリンピックの準備。門出の父の死もほのめかされる……。
描き出されているモチーフは大震災と無縁ではない。そしてこのフィクションの世界では「不安」が円盤という実体をもって描かれている。不安が可視化されている。
もしかしたら、「不安のイメージ」はクールジャパンを代表するアートであるマンガのテーマとして、商業誌でも通用するくらいに広く共有されているのかもしれない。そう感じさせるすごさがある。
2014年の空に円盤は見えないが
いま空を見上げても、東京にも東北にも南海トラフの上空にも巨大円盤の姿など見えはしない。しかし、目には見えないだけであの日からこっち、日本中の空を不安が覆いつくしている。目には見えないが根深い不安が。
浅野いにおの「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」は、そんな現代の日本を描いているのだと思う。日々の生活の中で忘れがちかもしれないが、逃れえない前提として与えらえている不安。たとえ原発の不安を言葉の上で否定しまくったとしても、この地上に生きる限り例外なくすべての人の空の上にある不安。
美味しんぼの問題を鼻血とか風評被害に矮小化してはならないと思う。大震災以来、この国を覆いつくし、少しずつ変化し続けている空気感として見詰め、語り、何かすることが必要だ。
たとえば
たとえば、福島の人がよく話してくれるこんなこと。
第一原子力発電所に隣接した場所に、国会や省庁を持ってくる。土地の持ち主は「よろこんで!」って場所を貸してくれるよ。
自分たちは年間被ばく量を1ミリシーベルト以下にしてほしいなんて、ひとっつも言ってない。望んでいるのは「あの日の前に戻してください」ってこと。
鼻血が出たという人も、出なかったという人も、県外の避難先で定住を決心した人も、福島で農業を頑張っている人も、両親のために帰還を決意した人も、みんなが口を揃えるのが、このふたつと、原発の全廃(少なくとも県内だけはという声は圧倒的マジョリティ)。国会とか省庁が事故原発のお隣に引っ越したら、あの日の前に戻してほしいという言葉の意味を少しは考えてもらえるようにかもしれない。
円盤が日差しを遮るように、日本中に広がった不安の影を見詰めることで、荒唐無稽に見える話も現実味をもって動き始めるかもしれない。そう信じたい。真剣に。
文●井上良太