ガレキの中の宝探し
震災後しばらく会社も学校も休みとなり、ガソリンを入手しては女川へ通うという日々が続いた。
り災証明、減税の申請…何かと役場へ行かねばならない用事も出てきた。
国道を塞ぐように横倒しになった我が家は重機によりバッキバキにへし折られ、無残な姿で道の斜面に散乱している。
その中から使えるもの、持ち帰れるものが無いか、まるで宝物探しのように屋根や柱を除けながら探し回る。
その日は自宅の跡地に行くと、魚を入れるカゴの中に私の成人式の写真が入って門の脇に置かれていた。
きのう近くに遺体捜索に来ていた自衛隊の方々が探し出してくれたのだろう。
引きつった笑顔、写りは悪くても二十歳の私にはもう戻れない。
手元に戻って来てくれたことに感謝し、成人式の写真を大事に大事に車へ積み込んだ。
風に吹きとんできた紙は私の給与明細…
もうこうなっては個人情報もクソも無い。
あっ!柱の下には女川の図書館から借りてた村上春樹の1Q84が見える。
ムリして手を伸ばしたが…届きそうで…届かない!
や~めた!返却する図書館も無い。
暗くなる前に避難所に寄ってから帰ろう。
もっと探せば何か出てくるのではという欲を断ち切って、車に乗り込んだ。
車の中は津波の独特な匂いが充満していた。
リクエストその1「ブラジャー!!」
総合体育館へ到着し知り合いがいないかキョロキョロしてみる。
みな私たちと同様、自宅跡地に通い使えるものや思い出の品を探しに出かけている。
もちろん物だけでは無い。
まだ会えない家族を探し回る人たちだって、居る。
携帯で何人かに電話を入れてみる。
ドコモやauなどの電源車が入り、携帯の充電がやっと出来るようになっていた。
何人かは避難所に居てすぐに外に出て来てくれた。
「どう?何か足りないものとか、欲しいものとか無い?」
避難所にいる友人の多くは車も流されたいる。
片道30分の石巻まで必要なものを買いに行くことさえままならない。
「子供の服がね、支援物資はサイズが偏ってて、130のズボンが無いの」
「ジャージの上下があると助かる。昼間はガレキの中を動き回ってるから」
忘れないようにメモる。
「それからね…お願いしてもいいのかな?」
「なに?なんでもいいから!気にしないで言わいん!!」
「あのね…ブラジャー欲しいんだよね、ショーツはたくさんもらえるけど、さすがに支援物資にブラジャーは無い」
「そっか!」
「ずっと同じのつけっぱなしだよ、仕方ないからたまに洗うけど」
「わかった!誰にも言わないからサイズ教えなさい!」
「絶対に口外しないでよ~(笑)」
「色は?」
「任せっから!」
「わがった!いぎなりマブいのね!」
「え~!!どんなのよ~?!」
くだらないこと言ってみんなでひとしきり笑って…
笑いもないと、やっていられない。
現実に押しつぶされそうになる。
ブラジャーはたしかに支援物資でそうそう入っては来ない。
ブラジャーとまで行かなくても胸にパットの入った下着やカップ付のキャミソール。
多くの女性が必要としていた。
リクエストその2「漬物が食べたい!!」
「食べ物とかは?何か食べたいものはある?」
数名の家族に聞いて回りましたが、みな口をそろえて
「漬物!しょっぱいもの!」との答え。
理由を聞いて納得しました。
その当時の女川の配給はパンでした。
それもカロリーの高い甘ったるい菓子パン。
「子供が胸焼けしてお腹すいてるはずなのに食べないんだ」
「うちの子どもも口内炎が出来てる」
あまりにも避難者が多すぎた女川町の総合体育館。
一時は3000人もの人が溢れかえっていました。
やっと流通ルートが確保できて、大量に運び込む事ができたのが「菓子パン」だったのです。
でもずっと、ずっ~とおんなじ菓子パン。
「〇〇○○春のパン祭り」ってフレーズを皮肉って「〇〇〇○春のパン地獄」って言ってる人もいたほどです。
子供でもその状態なのだから、普段パンを食べなれないお年寄りの苦痛は計り知れません。
「わかった!漬物探して次回買ってくるからね」
最後に漬物とメモして女川を後にした。
素直な女の子もわがままに変えてしまった環境
数日後にお願いされていた130の女の子用ズボン、ジャージの上下、ブラジャーとカップ付のキャミソールを届けに女川へ。
少しでも明るい気持ちになるようにと華やかな色をそろえて、冗談を言いながら手渡して…それから頼まれてはいなかったけど、化粧水と乳液、日焼け止めなんかも女子の必需品、笑顔で受け取ってくれて安心した。
「それから漬物ね…いろいろ種類は買ってきたんだけど」
袋をごそごそしていると「え!?マジで買って来てくれたの?ゴメン!メチャクチャ嬉しい!!一番嬉しいかも!」みんなの目が輝く。
それだけしょっぱいものに飢えていた時期だったのだ。
周りの目もあるから隠れて渡してはいたのだが、ギュウギュウ詰めの避難所、すぐに様子は伝わってしまい、すぐ近くにいた知らないおばあちゃんから「漬物持ってんの?お金払うから買わせでもらえねえべが?」と言われてしまった。
しまった!と思いつつも無下に断ることも出来ない、「食べてください」とそのまま手渡してきた。
息子の同級生の女の子にも2種類手渡して…喜んで笑顔を見せてくれた。
そこへ何人か集まり、数が足りなくなってしまった。
女の子のお母さんが「漬物足りないからひとつゆずってあげようよ」と声を掛ける。
するとその子は難しい顔になってしまい二つの漬物をギュッと握ったまま口を利かなくなってしまった。
その子のそんなわがままな部分を見たのは初めてだった。
とても物わかりのイイ素直な女の子、そんな子が母親から一つ返すように言われ、駄々っ子がおもちゃを取られないようにしているかのように、顔をしかめて漬物を離そうとしない…
そう、そこまで彼女は追い詰められていたのだ。
私はなんだかとても申し訳なくなってしまい「いいよ、ふたっつで!家族みんなで食べてちょうだいね」とそのまましまわせた。
後にメールで「今日は漬物ありがとう!家族で美味しい美味しいって少しづつ味わって食べたよ!汁まで飲んだ!」
という文章を読み、避難所での食事の偏りに対する不安感が増して行くのを感じた。
大規模すぎる避難所の食糧事情、それは想像をはるかに超える苛酷さだったのだ。