次の記事は、今日付けの河北新報のものです。
岩手県大槌町は3日、山を挟む大槌川、小鎚川両流域を結ぶ横断トンネル「三枚堂・大ケ口トンネル」と新大柾橋の建設を事業化すると発表した。国の社会資本整備総合交付金事業の予算内示を受け本年度、調査測量に着手。2017年度の完成を目指す。災害時、津波浸水域を通らずに両流域の行き来が可能になる。
津波対策の工事というと、どうしても堤防を連想してしまう中、大槌町の道路工事の記事が、新鮮に感じると同時に、高台へ避難する際の避難路のことが、ふと頭に思い浮かびました。
津波対策工事として、立派な堤防の話は、度々耳にするものの、立派な避難路を造ったという話はあまり(まったく?)聞いたことがないような気がします。
工事費用、住民生活へのインパクトなど、記事になりずらいだけかと思いましたが、インターネットで調べてみても、万里の長城に比喩されたり、ギネスブックに載る堤防はあっても、立派な避難路というのは、あまり見かけませんでした。
よく見かける?津波避難路について
下記の写真は、昨年7月に、宮城県・七ヶ浜町の菖蒲田浜地区を訪れた時に撮影した、高台に続く津波避難路です。
地震の影響で壊れているのかもしれませんが(それはそれで問題ですが・・・)、決して、立派な避難路とは言えないと思います。手すりはあるものの、年配の方がつかまりやすいものとは思えません。幅も、大人一人しか通るのことができない場所もあります。もし、効率よく、少しでも大勢の人の命を救う道として考えるならば、人によって避難スピードが異なることも考慮にいれて、大人二人が余裕をもって通れる幅がほしいところです。
「津波 避難路」のキーワードで、ネット検索してみたのですが、検索結果上位4件は、避難路設置についてのガイドラインなどで、5番目に初めて、愛知県が、治山工事の際に造った津波避難路がありました。リンク先を見てみると、避難路設置についての説明と、造られた避難路の写真が掲載されていました。
避難路の幅は、1mで大人が一人が通れるそうです。最終的に、手すりは設置する予定とのことですが、もう少し道幅の広さと、電灯(できれば停電時も考慮されたもの)があると更にいいのにと思ってしまいます。アイデア、試みがいいだけに、少し残念な気がしました。
津波の避難路というと、最初の菖蒲田浜地区や、上記の検索した愛知県のような避難路が多いような気がします。
津波避難路の有無が、明暗わけた事例
東日本大震災の際、宮城県石巻市にある大川小学校では、津波到達までおよそ50分という時間があったにも関わらず、避難場所をどこにするかで迷っていたために、避難が遅れ、84人の犠牲者を出しています。
大川小学校のすぐ裏には、高台(山)があったのですが、急斜面で足場が悪かったために、その高台には、避難することができなかったそうです。
その一方、同じ小学校でも、避難路を造ったからこそ、助かったと思われる事例があります。
岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。
海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。
「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。
親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。
平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。
11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。
堤防だけでなく、もう少し立派な避難路があってもいいのでは。
越喜来小学校に設置された避難路の費用は400万円。71名の命が救われています。一方、30年の歳月と1200億円の費用を投じて造られた、岩手県釜石市の堤防は、津波の軽減効果はあったと言われているものの、津波で堤防は破壊され、同市では、およそ1100人の方が犠牲になっています。釜石市の堤防は、490億円を投じて、復旧されるとのことです。
決して、堤防を否定するつもりはありませんが、堤防にかける費用に比べて、避難路の整備や、高台に避難場所を造るといった費用が少ないように思います。
ここ数カ月、東北での堤防工事に関するニュースを、時折耳にします。場所こそ違えど、いずれも内容は同じようなもので、行政が高い堤防を計画したものの、住民の反対にあって、高さを下げたというニュースです。
もし、住民の方が望むならば、堤防を下げ、その代わりに高台に憩いの場所となるような公園を造り、そこまで、散歩コースになりそうな、整備された避難路を造る復興事業が、もっとあってもいいのではないだろうかと、今日の河北新報の記事を読みながら思いました。
Text:sKenji