【遺構と記憶】気仙沼市鹿折駅前――。かつて船があった場所

気仙沼市の鹿折(ししおり)駅前。かつてここに船があった。撤去すべきか残すべきか、いろいろな意見が交錯した末、船はなくなった。

船の解体には当初の予定以上の時間を要した。船の姿がなくなった後には、かすかに船が壊した地形が残された。

第18共徳丸。津波に運ばれて鹿折の町の中に侵入し、渦巻く津波に流されながら、町を破壊していった船。この地域に住んでいた人にとっては「見たくない」存在だったという。

船の斜向かいにはコンビニエンスストアがあった。船があった頃にはひっきりなしにクルマが駐車場に入ってきては、たくさんの人たちがこのお店にクルマを駐めて第18共徳丸をカメラに収めていった。コンビニの行燈看板があるあたりは、ビデオカメラで撮るのに絶好のアングルだったようで、いつもどこかのカメラクルーの姿があった。でも今は、往時の雰囲気はない。船がなくなってコンビニも経営的に大変だろう。

ひまわりが花咲く季節には、こんな写真を撮ったこともある。

ひまわりの海に浮かぶ漁船――。

意外性とインパクト。

(しかし、撮影している時には忘れていた)

ここは海ではなくて陸地なのだ……。

自分にとっては、初めてこの場所にやって来た時から船はすでにあったから、完全に消え去った光景を目にした時には、大きな違和感があった。

船があった頃には、写真に撮ったりビデオカメラを回したり、背伸びをしてスクリューを触ってみたりして、陸上に巨大漁船があるという衝撃をいかに伝えようかと、そればかり考えた。解体が決まった時には、できるだけ記録を残さなければと考えた。そして解体が終わった後にその場所に行った時には、「あるべきものがないという喪失感」すら覚えた。正直に言えば、船が見られなくなったのが寂しかった。

しかし、写真を整理しながら静かに大きくなっていく感情に気づいた。それは、「陸の上に船がある」という映像が、これまでいかに、自分の中で不安な気持ちをかき立ててきたかということ。船の姿がない、旅行者としては「面白みのない」風景の方が、どんなに心安らかであるかを再確認する感覚。こころのバランスをゆっくり取り戻していくような感情だ。

不思議なことに、船の写った写真と船がない写真を見比べていると、共徳丸の赤と青の巨大な船体を目にすることで胸の鼓動が高まるのがわかる。雪にうっすらと覆われた土地だって、かつてあった町の残骸としての更地なのに、でもその景色にはまだ希望がもてるように感じられる。

ちょうど船があった辺りには、いま土木工事の丁張(設計の寸法を現場に落とし込んだ位置表示)が一列に並んでいる。「路肩天」という文字が読み取れるから、矢印の高さまで盛土して道路になるということらしい。

船がなくなった鹿折の町で、日常が動き始めている。

写真と文●井上良太