自由民主党幹事長の石破茂幹事長が自身のブログに「お詫びと訂正」を掲載した。
2013年12月 2日 (月)
お詫びと訂正
石破 茂 です。
整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。
一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。
「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。
自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。
2013年12月 2日 (月) 本人コメント | 固定リンク
11月29日に公開された「沖縄など」と題するブログを対象としてのお詫びと訂正だと思われるが、デモ批判そのものを改める内容ではない。特定秘密保護法案に反対する市民によるデモ活動とテロを同一視すると受け取られる発言に対して、反論の声が各所で上がっていた。
「発言」へのメディアの反応
11月30日(土曜日)から12月2日(月曜日)にかけて、石破発言とそれに対する反応が連日メディアによって伝えられている。12月2日の新聞紙面には、日曜日に全国各地で開催された特定秘密保護法案に反対する集会に参加した人たちの「政策を批判したらテロリスト呼ばわり。これが民主主義の国なのか」(朝日)、「本音出た」「反対世論を抑えたいのだろう」(産経)、「私たちもテロリストですか」(毎日)など、激しい非難の声が並んだ。
NHKは、日曜日(12月1日)の国会周辺で行われた法案への抗議活動に参加した女子高校生の声として、「私たちは選挙権もないので声を上げることしか方法がない。抗議活動がテロ行為だとされたことは全く信じられない」というコメントをニュースWEBに掲載した。
石破幹事長の訂正内容
お詫びと訂正に合わせて、石破さんは元ブログにも修正を加えていた。
原文を消し去ることなく残した上で、訂正を入れているところは、自らの発言に責任をもつ態度と言えるだろう。しかし、訂正の中身によってさらに傷を深めているように見受けられる。
かく言う理由は単純明快で、そもそも「あるべき民主主義の手法」とはどんなものなのか、ということだ。同じことが「お詫びと訂正」に記された「一般市民に畏怖の念を与える」という一言についてもいえる。「一般市民に畏怖の念を与えたかどうかを判断するのは誰なのか」――。
争点となっている特定秘密保護法の成立によって、「それはあるべき民主主義ではありませんよ」、「こちらがあるべき民主主義になります」とご案内する立場を占めることになるのが誰なのか、という疑問に対する為政者サイドからの回答が暗示されていると言ってもいい。
特定の誰かが専横的に決めるのではなく、みんなで決めるのが民主主義の基本のきの字だと思うのだが。
内田樹さん「重要な発言である。」
石破幹事長の発言はたくさんのブログでも取り上げられた。神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんは、「重要な発言である」とした上で、安倍政権におけるテロリズムの定義について次のように言及した。(石破氏による訂正より前の文章であるため、「テロリズム」を、「あるべき民主主義とは異なるもの」と読み替えていただきたい)
そして、現に幹事長自身、担当相の解釈を退けて、「政治上の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」しようとしている国会周辺デモは「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と断言しているのである。
幹事長の解釈に従えば、すべての反政府的な言論活動や街頭行動は「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」しようとするものである以上、「テロリズム」と「その本質においてあまり変わらないもの」とされる。
「テロリズム」は処罰されるが、「テロリズムとその本質においてあまり変わらないもの」は「テロリズム」ではないので原理的に処罰の対象にならないと信じるほどナイーブな人は今の日本には(読売新聞の論説委員以外には)たぶんいないはずである。
このブログでの幹事長発言は公人が不特定多数の読者を想定して発信したものである以上、安倍政権が考える「テロリズム」の定義をこれまでになく明瞭にしたものと私は「評価」したい。
石破幹事長によれば、私が今書いているこのような文章も、政府要人のある発言についての解釈を「政治上の主義主張に基づき他人にこれを強要」しようとして書かれているので「テロリズム」であるいう解釈に開かれているということになる。
「本来あるべき民主主義の手法」――。
ずいぶん大きな石を投げ込んでくれたものだと思う。広がる波紋は果てしない。石破さんのこの言葉が、「本来あるべき民主主義」について、みんなで再考するスタート地点になることを希望している。
(資料)
第十二条 2の一
テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。
法律の条文なんて小難しくって読む気になれない!という方、こちらはいかが?川崎のイケメン弁護士さんによる「意訳」です。たとえば、国民の知る権利に関しては、
「配慮するなら作るなこんなもん。」
みたいな。
追記(2013年12月3日)
12月2日(月曜日)以降も、石破発言の波紋は収まらない。訂正の中で、重ねてデモを批判したことで火に油を注いだ形だ。特定秘密保護法に対する抗議集会は、2日夜にも東京・永田町の参議院議員会館前で行われた。
東京新聞は、「法案こそテロ」という参加者の声を伝えた。法案には、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」するのがテロとの一文がある。
海渡(かいど)雄一弁護士は「表現の自由を行使する主権者の声をテロ呼ばわりする政治家に、政治を負託した覚えはない」と強調。「徹底審議を求める国民の声を無視するのは民主主義政治ではない」と述べ、強行採決の阻止を訴えた。作家の落合恵子さん(68)は「市民運動とテロの区別もつかないのか」と糾弾し「法案こそテロ。廃案しかない」と叫んだ。
FNNは、「石破氏ブログで波紋 野党7党の幹事長ら、この問題に強く抗議」とのニュースをWEBで配信。「12月6日までの法案成立も微妙になる」との党幹部の発言を伝えた。
批判の矛先は石破幹事長一人に向かいつつある。しかし、抗議行動は特定秘密保護法案に対して繰り広げられてきたことを忘れてはならないだろう。中日新聞は社説で石破幹事長の不見識を批判しながらも、「廃案とすべき悪法」という言葉で締めくくった。
石破氏の記述を見過ごせないのは、安倍内閣が国民の声に耳をふさぎ、特定秘密保護法案の成立を強行しようとしているからだ。
この法案はテロの定義があいまいで、「主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」する行為も、テロに該当するかのように読めてしまう。
正当なはずのデモ活動が「主義主張を強要した」としてテロに認定され、取り締まりの対象になってしまうとしたら、そんな国家が民主主義体制と言えるのか。
石破氏はデモに対する誤った認識を撤回し、自ら責任を明らかにすべきだ。種々の懸念が指摘されるこの法案が、廃案とすべき悪法であることは、言うまでもない。
北海道新聞の社説(12月3日)は、法案成立後の「拡大解釈」にも警鐘を鳴らす。
「大音量で相手に恐怖の気持ちを与えてはならない」とも主張する。だが、衆院で審議を尽くさず、数の力で強行採決した与党の国会運営の方が暴力的だ。国会の前で抗議する市民団体の憤りは理解できる。
「絶叫戦術」で思い出すのは選挙運動だ。候補の演説や選挙カーの大音量に泣きだす子供もいる。これもテロに通じるというのだろうか。
石破氏の発言には自民党の体質がのぞく。憲法改正草案で「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に言い換え、国民の権利をさらに制限しようとしている。視野にあるのは国と国民の関係を逆転させる改憲だ。
「特定秘密」にはテロ情報も含まれる。法案が定義するテロには「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」する活動も含まれる。成立すれば本当にデモがテロと解釈されかねない。
しかも秘密の指定を行うのは政府だ。原発問題など含め政府へのあらゆる抗議行動が制限されないか。石破氏の発言は拡大解釈の余地を残した法案の問題点を浮き彫りにした。
確認したいのはこのこと。
重ねて問いたい。石破幹事長はもちろん法案を通そうとしている国会議員の全員に。
「本来あるべき民主主義」ってどんなもの?
●TEXT:井上良太