かつて警戒区域と呼ばれ、現在では居住制限区域や帰還困難区域の2つのエリアに新たに線引きされた土地へ、「はままつ東北交流館」佐藤大さんの案内で出かけてきた。
特別な許可がなければ入れない場所へ行き、
自分の目と耳、鼻、口など、
生身の五感でその土地を感じられた体験は
意義あることだった。
感じさせられること、考えさせられることがたくさんあった中から、
佐藤大さんの言葉をひとつ、お伝えします。
「この道のこっち側は自由に立ち入りできて、でも反対のあっち側は自分ちなのに入ることもできない。ほら、この錠前、これどういう意味だか分かります?」
佐藤さんが身振り手振りを使って示してくれたのは、富岡町の夜ノ森駅から南に下っていく住宅地の中の通りでのこと。
政府は昨年から避難地域の再編を進めてきた。
それまで、「警戒区域」「計画的避難区域」という言葉が示すように、「避難」を念頭においた基準だったものが、
再編では、「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」と「戻ることの難易度」による区分けに変更された。
ザックリと整理すると、
・避難指示解除準備区域
放射線の年間積算線量が20ミリシーベルト以下になることが確実とされた地域。
住民が早期に帰還できるように支援策を行う。
・居住制限区域
年間積算線量が20ミリシーベルトを超える怖れがあり、避難の継続を求める地域。
除染を進め、地域社会の再建を目指す。
・帰還困難区域
放射線の年間積算線量が50ミリシーベルト超。5年間経過でも20ミリシーベルトを
下回らないおそれのある地域。
避難指示解除準備区域と居住制限区域の2つは、将来的に住民が戻ることを目指して、除染や基盤整備事業などを進める「人が住む場所」と設定されている。
対して帰還困難区域は文字通りすぐには戻れない場所、当面は「人が住めない場所」と区分けされた。
帰還困難区域は線量が高く立ち入ることも危険なため、敷地のまわりにバリケードが設置され、ゲートは大きな南京錠で施錠されている。
その線は誰が引いたものなのか?
佐藤さんは、帰還困難区域と居住制限区域、つまり、
入れないエリアと入れないエリアが1本の道で隔てられていることを告げると、
それ以上、論を進めることはしなかった。
「みなさん、どう思いますか?」と、問いが投げかけられたのだ。
もちろん、線量が高い場所で生活するのは危険だろう。
でも、どうしてこの道が境界線なのだろう。
道一本で、年間積算49ミリか50ミリ超かがきれいに分かれるのだろうか?
通りには真新しい住宅もあったけれど、
自分がもしもここに家を新築したばかりだったら?
もう一本向こうの道でもいいのではと、きっと思うことだろう。
誤差とかあるんじゃないかとか、行政に掛け合いにいくかもしれない。
もしもクレームが通って境界線がもう一本隣の道に移ったら、
その道沿いに住んでいる人はどう思うだろう?
みなさんは、どう思いますか?
もしもあなたの自宅がここにあったとしたら。
バリケードで外の世界から隔絶されてしまった住宅地のベランダに、洗濯物が残されていた。
あの洗濯物はこれから何年あの場所に吊るされているのだろうか。
夜ノ森駅近くのバリケード
帰還困難区域と居住制限区域を切り分ける
文●井上良太