東北、この一枚。(3)陸前高田・うごく七夕

「もしかして取材か何かなの? 個人的なブログとかならどんどん宣伝してほしいんだけど、取材ってことならお断りだなあ。」

陸前高田の「うごく七夕」。たとえ盆や正月には帰らなくても、この日だけは東京や仙台へ出て行った人たちも帰省してきて町中がひとつになるという、年に一度の夏祭り。飾り付けの準備が始まったと聞いて、とある町内の作業場所を訪れた。「見せてもらっていいですか」との問いかけには、ていねいに説明してくれていたのだけれど、ノートを出してメモを取ろうとしたら、彼女の顔が急に曇って取材はお断りと告げられた。

といって追い出されるということではなく、説明は続けてくれるんだ。それどころか、去年の動画見ますか? とスマホで見せてくれたりもした。

同じようなこと、陸前高田で経験したのは三回目。うち一回は烈火のごとく怒られて、怒られたのにコーヒーをすすめてくれて、そこから1時間以上お話しを聞かせてもらうという経験だった。

「どうしてなんだろう。よく似ているなあ」と感じた。今回も取材はダメと言われたのに、数分後には彼女が運転するクルマで高田の町を案内してもらっていたのだから。

きっかけはこんな質問。

高田で残った山車は3台だけ。それも泥水をかぶってどうにもならないような状況だった。それでも、震災の年の夏、残った3台の山車でうごく七夕を開催した。翌年には再建した山車も含めて9台が参加したという――。
「震災で大変な状態なのに、そうまでして開催するお祭りって、高田の人たちにとってどんな存在なのですか?」

そんな質問に、彼女は言葉で答える代わりに「町に山車を見に行きましょう」とクルマを出してくれたのだ。

建物の解体とがれきの撤去が驚くほどのスピードで進む高田の町なかには、建物の基礎部分が残るだけの平らな空間が広がっている。そんな地平の中、ブルーシートで包まれた山車が何台も見える。本来なら山車専用の倉庫におさめられているはずのものだが、倉庫がないからシートで包んで置かれているのだ。

彼女は一台一台の山車を回って、山車について説明してくれるだけでなく、クルマのオーディオでそれぞれの組のお囃子を聞かせてくれた。山車の造りのこと、太鼓や笛のこと、梶棒のこと、気仙大工のこと、組ごとに毎年違う飾り付けのこと、こどもの頃の祭りの思い出、お囃子の練習の思い出…。

彼女の話から想像される祭りの光景と、フロントガラスを流れていく景色のギャップ。

まっ平らになってしまった町を走って、祭りの山車のことを教えてくれた理由が、言葉ではなくもっと大きな感情として伝わってきた。

取材はダメ。だから写真はありません。こころに浮かぶ一枚をイメージしてください。
取材はダメ。だから経験させてもらったことのアウトラインだけを記します。
陸前高田の夏の祭りは「うごく七夕」も「けんか七夕」も今年は8月7日の開催です。
「宿泊場所は難しいけれど、ぜひ来てほしい。」
それが彼女からの伝言です。

●TEXT:井上良太