被災した物が、造成地の片隅にうず高く積まれていた。
ぬいぐるみがたくさんあった。
なぜかどれも顔を向こうに向けていた。
撤去された電柱の山。
鉄線とコンクリート柱の残骸。
ケーブルの束の上に載せられていたのは鉄道信号の残骸。
まだ家屋の撤去が進んでいないこの町の「被災物置き場」は、おそらく道路などに散乱していたものを集めた最初の作業によるものだろう。
クツやぬいぐるみは、その後、訳あってここに放置されたものなのかもしれない。
原発の影響の少ない被災地で、
被災直後、被災後数日、数週間といった時間経過の中で変化していったものが、
この場所では2年3か月後のいまの時間に凝縮されている。
海へ続く道
被災物の集積所近くの踏切から海へ向かった。
線路は錆びている。
枕木は津波に洗われて浮いている。
そして夏草が力強く伸び始めている。
踏切の警報器の折れた柱の中にも芽生えがあった。
一面の荒地のようになった農地にツツジの花がまぶしい。
すぐ近くの緑の中には消防自動車と田植え機の赤。
放置された、あるいは流されてきた軽トラックの運転席には去年の草。
まるでクルマの運転をするかのような場所に。
海の方に目を転じる。
絵本のような、夢のような景色が広がる。
そして、その先には建物の基礎だけが残る場所。現実に引き戻される。
このあたりには何軒かの宅地があったようだ。
建物は流されてしまったのだろうか。
宅地に寄り添うようにハマナスが群生をなして咲いていた。
みごとなハマナスだった。
JR富岡駅周辺
駅近くの立派な住宅。
原形をとどめているよう見えたが、
内部は直視することがためらわれるような状態だった。
シロツメクサのクローバーが咲き乱れる。
駅前通りから、駅横の駐車場に向かう道を進む。
海が近いこの地域は、工場も民家も大きな被害を受けている。
被災したあの時まで、人々の生活の一部に存在した物。ガレキはゴミではありません。生活の記憶が込められた「被災物」なのです。