海辺の地をゆく「気仙沼・波路上」 2013年4月17日

2013年4月17日(768日目)の宮城県気仙沼市・波路上(はじかみ)の海岸

三陸海岸を南北に貫く国道45号線。
南から気仙沼に向かい、陸前階上駅(BRTとして運行中)の手前から東に少し走ると太平洋に突き当たる。

岩井崎はリアス海岸の景勝地。海辺の岩が潮を吹く眺めが人気の場所。お伊勢浜は「環境省選定 快水浴場百選」にも選ばれていた海水浴場として知られる。

しかし、この看板のすぐ近くに広がる光景は…。

海岸へ走って来た道を振り返ると、何もない。途中、気仙沼向洋高校(かつての水産高校)の建物があったが、あまりにも被害が大きかったため仮設校舎で授業を行っている。

この海辺にも、さら地となった場所に真新しい電柱の列が続いていた。

海辺の低い護岸に並ぶのは、墓石だった。

護岸にそって一列に並べられていた。

墓石の向かい側は墓地だった。黄色いコンパネで、骨壺を納める場所(納骨棺、カロートというらしい)に蓋がされていた。

「いまはまだ、どうにもできない」という悔しい思いが伝わってくる。

そして墓石は、海を背にして墓地に向かい合って置かれている。

傷が入ったり、一部割れたりした墓石の数々。中には海から引き揚げられたものもあったのかもしれない。

そんな墓石に向かい合うように、墓誌が刻まれた石が、墓地に立てかけられていた。

墓石と墓誌を合わせて、あるべき墓地へ移動させることが、まだできる状況ではないということなのだろうか。

墓地の真ん中に立つ塔には、「海の殉難者慰霊塔」の文字が。

「難」と「者」の字より高いところまで、津波が押し寄せたのかもしれない。

三陸名産のカキやホタテ、ワカメ、ギンザケなど、養殖漁業の研究で有名だった気仙沼水産試験場も、すぐ近くにありました。

津波では甚大な被害を蒙り、建物は2階まで浸水し、実験・試験の器具・機材から貴重な資料のほとんどを流出。それでも高台に避難して無事だった職員の方々は、震災直後には市内の保険所に間借りし、その後は仮設の合同庁舎を拠点として、漁業復活のための作業に取り組んでいるそうです。

お伊勢浜海水浴場では、海岸から漂着物を取り除くビーチクリーン活動が、主にボランティアの手によって進められています。

おだづなよ
負げでられっか

大きな被害を受けた浜で、海風の中からそんな声が聞こえてくるような気がしました。
元あった場所に戻れずに残された、たくさんの墓石のすぐとなりで。

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)