陸前高田の町なかに残されたビル

陸前高田の駅前から、東浜街道を右に曲がって2ブロック目の角。
あるいは、陸前高田市役所から南に2ブロック歩いた角。

陸前高田の町なかに残る米沢商会のビル

まだ、高田の町に壊れた建物が残されていた頃から、このビルは気になる存在だった。

外構はしっかりしていそうだが、内部はがらんどう。それも3階まですべての部屋で、中みがまるごと消えているように見えた。建物の穴から市民会館が見通せる景色に震撼した。

東浜街道に面した階段には、「底マチ付紙袋」「食品容器」などのサインが残っている。

建物の中身が、壁紙や天井まで含めて、内装の質感がすべて消し去られた中に、言葉だけが残されたさまが壮絶だった。

今年の2月、ビルのオーナーが津波から逃れて上った屋上の煙突に、「津波到達水位」の看板を掲げたというニュースが流された。

立ち退き区域にも指定されていないから、いまのところ建物を撤去する予定もないというコメントも伝えられた。

いま、陸前高田の町は、どんどん建物が壊されて、町全体がまっ平らなさら地にされている。

何もなくなった町に立った時、このビルがあることで、津波の高さが実感できる。体が恐怖に包まれるのを感じることができる。

だって、駅前の繁華街だった場所から、いまでは遠く一本松まで見渡せるのだ。

米沢商会の前で360度ターンしてみた

ぜひ米沢商会のオーナーさんに会いたい。聞いてみたい。

このビルに「津波到達水位」の看板を掲げた気持ち、ビルの将来のこと。

そして、「忘れないよ。みんなと暮らしたこの町」という言葉のこと。

まっ平らになってしまった陸前高田で、町の記憶が薄れていくのを食い止めようとしているように見える、このビルの場所で。

米沢商会ビル

岩手県陸前高田市高田町館の沖

この場所は、海から1km以上離れている。町と海のあいだには、国道も線路もある。しかし、この付近の標高は、海抜1mに満たない。

奇跡の一本松の立つあたり(約3m)よりも低いのだ。

●TEXT+PHOTO:井上良太