東北の友人たちが言うことには。その1「におい」

「あ、また同じ話だ」と感じることがある。頻繁にある。それも、イヤな風に感じるではなく、同じ話を聞くたびに、刻まれた言葉がひと鑿ずつ深くなっていくような感覚。

たとえばこんな話。

「あの時の様子は、写真とか映像とか、あとは直接話したりすることで、いろいろと伝えようがあるんだけど、『におい』だけはどうにもならないんだよな」

被災地でよく聞く「におい」の話

「がんばろう!石巻」の看板のさらなるリニューアル企画に取り組んでいる現場で、ある装置を見せてもらいながら聞いたのは、どうやれば臭いをリアルに伝えることができるか、という話だった。

同じ話を震災直後から、ボランティアで魚市場周辺の片付けに入っていた人にも聞いた。

「信じられないだろうけど、家の壁に冷凍イカがブスブスッと刺さってたんだぜ。もっとも、俺たちが到着した時は溶けたイカが壁の穴にだらんと引っかかってる感じだったんだけど、あれは間違いなくイカが槍みたいに突き刺さったに間違いない」

名古屋から駆けつけたという彼は、そんな驚くような話をしてくれたあと、

「溶けて腐ってきたイカをスコップでダンプに積んで片付ける。毎日毎日、その繰り返し。ガレキ撤去で来たはずだったけど、俺たちの仕事はしばらくイカ撤去だった。とにかく臭いが猛烈でね。話していると、あの臭いがよみがえってくるよ。魚市場のまわりでも、場所によってイカばっかりのところ、カツオだらけのところとか片付けるものに違いがあって、それぞれにすごい臭気でね。どんな匂いって言葉では言えないけど、臭いの記憶と場所の記憶が結びつくような感じ」

びっくりするほど似たような話を、気仙沼の美術館でも見聞きした。

人間の記憶は何かと結びつけられる。気仙沼の人は、魚の腐臭と油の臭いと焼け跡の臭いが混ざったものを嗅いだとき、震災当時の記憶がよみがえるのかもしれない――。そんな話。

気仙沼の床屋さんでも、仮設市場の飲み屋さんでも、いわき市久之浜でもやっぱり床屋さんが同じ話をしていた。みんな臭いの話をしてくれる。

もっとリアルに伝えたいからこその「におい」の話

でもどうして臭いの話なのか。
話してくれた人たちはみんな、あの時の記憶を伝えていきたい。震災を経験しなかった人にもあの時のことを伝えたいと考えて行動している人たちだ。写真や動画や、いまではもう臭いがしなくなった町を歩きながら話して聞かせても、「伝えきれていないのではないか」と思ってしまうことが、どうやらあるらしいのだ。

臭いはきっとそんな「伝えきれていないのではないか」という思いの象徴に違いない。

テレビでも新聞でもネットでも、伝えられないもの。でも、被災地の人たちが伝えたいと思っていること。

東北に行ったら、友だちに聞いてみて。あの時の臭いのこと。そこからいろいろな話題が広がっていくはず。誰の身にも起こりうるという災害のリアリティが大きくなっていくはずだから。

文●井上良太