「お隣はアメリカ!」の本家としては・・・
クーペリナという生き物をご存知ですか。古代に繁栄した腕足動物の一種で、栃木県から化石が出たのだそうです。腕足動物といってもぱっとイメージできる人はほとんどいないでしょう。でも、「生きた化石」として日本にもその仲間が現存しています。しかも食用にも供されているのです。
その名は「ミドリシャミセンガイ」。九州の有明海に生息し、地元の人々は湯がいて食べるそうです。見た目的には貝から足が生えたような不思議な形をしていますが、お味は貝類と甲殻類をミックスしたような、なかなかのものなのだとか。
おっと脱線、脱線。
問題はシャミセンガイの遠い先祖にあたる化石が栃木県から出てしまったということです。なぜそれが問題かと言うと、東北の人たちが至極普通に、しかも頻繁に発言し、もしかしたら本当にそう信じているかもしれない「おとなりはアメリカ」という認識ががピンチに立たされるかもしれないから。
つまり、こういうこと。
石巻の近江さんも、ヨット乗りのけいていさんも、宮古の吟遊詩人ちんさんも、佐須浜の漁師の須田さんも言ってた「おとなりはアメリカ」ですが、2013年4月3日の読売新聞にこんな記事が載せられちゃったのです。
栃木は昔、テキサス州だった?…化石が補強材に
栃木県佐野市葛生化石館は2日、葛生地区の石灰岩地層から、約2億7000万年前の古生代ペルム紀に生息していた腕足動物の一種、クーペリナ属の化石が見つかったと発表した。
化石館によると、クーペリナ属の化石発見は国内では初めて。1960年代には米テキサス州西部でも発見されており、化石館は、葛生一帯がかつてテキサス州近くにあったとする説を補強する発見としている。
栃木がアメリカのおとなりだったとするならば、きっと東北三県も間違いなくアメリカのご近所だったはず。
でも栃木がテキサスという位置関係が微妙です。ならば東北はカリフォルニアあたり?
シャミセンガイの先祖が生きていた頃、日本とアメリカがすぐご近所だったということに、地球の歴史の壮大さを感じずにはいられません。
まさか、本気じゃありませんよね
続いてのニュースは、宮城県第二の都市・石巻市の街なか商店街の一角を占めるアイトピア商店街。河北新報の記事が誤報(あるいは説明不足)であることを祈りたい。その一心なのであります。
津波などの一時退避は店2階へ 石巻の商店街が看板設置
石巻市中心部のアイトピア商店街が設置した避難誘導看板
逃げ遅れた時は店舗2階に一時退避を-。宮城県石巻市中心部のアイトピア商店街は、同商店街に津波からの避難を呼び掛ける看板の設置を始めた。看板近くの店舗は緊急時に上層階を住民らに開放する。東日本大震災の教訓を備えに生かすことで、商店街に来てもらおうという試みだ。
石巻市でもこの辺りは1階が浸水し、店舗内は泥だらけ、道には車やがれきが散乱する惨憺たる状況でした。でも、たしかに、多くの建物では浸水したのは1階にとどまったと言われています。しかしいくらなんでも――。
しかし、東日本大震災での津波の高さを上回る津波が来ない保証などありません。たとえ地震や津波の規模が小さくても、震源の位置や潮位など様々な条件で、津波高がはるかに高くなる可能性はあります。
記事を読み進めていくと、羽黒山(ここから300mくらい)や日和山(同じく500m)くらいの場所への避難を呼びかけているけれど、逃げ遅れた時には建物の2階も開放します、というニュアンスように読み取れます。
間違っても、「2階に逃げれば大丈夫だから商店街に来てね」なんていう記事として読まれることがありませんように!
住民がこぞって喜ぶ私企業の復活。南リアス線
「部分です。あくまでも部分再開です」
それなのに、一企業が事業を一部再開したというだけの話とは思えない、住民の人たちの喜びよう。三陸鉄道の南リアス線の一部、大船渡市の盛駅から吉浜駅までの区間が再開したというニュース。地元ブロック紙の河北新報はもちろん、全国紙、NHKなどもこぞって伝えました。
盛・陸前赤崎・綾里・恋し浜・甫嶺・三陸・吉浜
全部で7駅6区間。たったそれだけの再開です。それでも、この営業再開は、持っている意味が違うのです。
今回の地震被害からの復活というニュースだけを見ていると、かつてのJR路線が第三セクターとなり、その後に震災を受けてから復活というように見てしまう方もあるかもしれせんが、まったくの間違いです。
三陸鉄道の南リアス線のうち、国鉄時代の当初計画で完成していたのは綾里駅まで。その後も延伸されましたが国鉄時代のターミナル駅は吉浜です。
吉浜から先、釜石までの区間は、国鉄としては建設を断念。それでも岩手の海沿いを鉄道でつなぎたいという地元の熱意を受けて第三セクター方式で開業したのが三陸鉄道。三陸の海岸線を縦貫する鉄道は、古くから地元の人たちの悲願を実現したものだったのです。
今回開通した7駅6区間には、感慨深い駅や場所がたくさんあります。
今日は、昨日の部分開通を祝って、再開路線の中から「綾里(りょうり)」駅周辺のことを紹介します。
綾里駅は綾里の漁港から綾里小学校の前を通って山沿いにのぼって行った先。駅自体の標高は40mほど。でも、駅に比べて標高の低い(といっても港から歩いて行くとかなり登った先にあるように錯覚してしまうが、その実標高は10mほど)小学校や周辺から多くの人たちが避難のために走りのぼって行った先に綾里駅はあります。
綾里は今回の津波でもっとも高い遡上高を記録した場所としても知られています。その高さは39.7m。実際に観測された津波の高さとしては日本で一番高い記録です。
気象庁関連では大気環境観測所があるのも綾里です。大船渡の市街地はもちろん、仙台市のような大きな町からも離れているため、人間生活の影響の少ないピュアな空気が採取できることから、空気の汚れや二酸化炭素量の推移などを、世界中の調査機関と連携して調べています。
それくらい、綾里は空気がきれいな場所なんですね。
いきなりびっくりしちゃいますが、こちらは綾里駅前に収蔵されている「綾里大権現様」。三陸地方では獅子舞を大権現様と呼ぶ地域が多いそうですが、こちらの大権現様は、ガラスのケースを覗いた方が腰を抜かすほどの大きさ、美しさです。
きっと権現様も今回の南リアス線の営業再開にも喜ばれていることでしょう。
綾里の駅前にちゃんとありますよ。三陸鉄道の地元サポーターたちを紹介する看板が。
写真を撮った当時(2012年11月)は、まだ列車は走っていませんでした。それでも駅の売店は営業していました。
駅は町の人たちにとって特別な場所。みなさん本当に三陸鉄道を愛しているんだなあと感じたものでした。
早く全線再開して、沿岸部に笑顔がたくさん咲くといいですね。
●TEXT+PHOTO:井上良太