今からおよそ10年前、僕は西日本にあるA高校の野球部に所属する野球少年でした。全国に数多ある野球部と同じように練習し、同じように甲子園を目指していましたが、少しだけ、他校とは違う特徴がありました。母校は明治時代創部の伝統校、部員数は毎年100人を超すというマンモス野球部だったのです。このシリーズでは、そんな僕のマンモス野球部ライフを紹介していきたいと思います。
定期テストはあくまで勉強のための期間!
他の学校と同様に、母校・A高校にも定期テストがありました。A高校では定期テストが近づくと、テスト当日から逆算して1週間、練習がお休みになります。一応、A高校は大学付属高校なのですが、大学からは「付属高校から進学する生徒は成績が今ひとつ」と言われているらしく、A高校の教師陣はどうやらプレッシャーを感じている様子でした。ですので、一部の全国大会常連の部を除いて運動部は原則練習禁止となり、この時ばかりは勉強に専念しろと言われるのです。
あくまで勉強のための期間!とは言え、普段野球生活に圧迫されている連中からすれば、野球から解放される数少ない機会です!マジメに勉強する部員は少数で、野球バカはこっそり練習を続け、不真面目バカは遊びに出かけ、僕のような単なるバカは図書館で勉強道具を広げるまでは良いのですが、勉強内容が難しすぎてそのまま眠ってしまいます。ちゃんと勉強をしていた奴はどれだけいたのでしょうか。
もちろん、野球部内でも成績の良し悪しがあります。ただ、「とりあえず監督の科目に限ればほぼ全員高得点」という現象は3年間続いていたので、「こいつらちゃっかりしてんなぁ」と思ったものです。自分もですが。
テストもこなして野球もこなす!1学期の期末テスト
テスト期間は毎度そんな調子なのですが、3年生の1学期、期末テストだけは例外でした。この時期と言えば、7月の上旬。そうです。夏の全国高等学校野球選手権大会の予選大会が行われる時期なのです!2年半、打ちこんできた野球が、まさかテスト期間による練習不足のせいで負けてしまってはたまりません。このテスト期間に限れば、野球部は例外的に練習を行いつつ、テストと大会の両方に挑むことを許されていました。
ここで練習をするのは3年生と下級生のレギュラーのみ。1,2年生はさすがに勉強優先、3年生は最後の大会だから悔いが無いように野球優先、と言ったところでしょうか。野球優先は結構なことですが、僕個人で言えば、成績が順調に右肩下がりだったので、練習もそこそこに勉強もしなくてはならず、頭も身体もパンク寸前でした。
僕が所属していた学年は特に人数が多く、部員は47人いました。大会でベンチに入って戦うのは18人です。その上、大会で負けたら即引退ですから、ベンチに入ることの無い部員は、身体を動かしたところで今後試合に出ることはほとんどありません。そのため、必然的に掛け声などが小さくなり、レギュラー陣ばかり気合が空回りしていた印象です。人数が多いぶん、みんなの「やる気」もかなりバラつきがあった気がします。
こうしてなんとか練習をこなしつつ、テストを乗り越えます。しかし、この時期にチームバランスが乱れ、調子が上がらないまま負けてしまった年もありました。そうなると、やっぱり悔やみきれないだけに、この時期の乗り越え方が命運を分けると言っても過言ではありません。
テスト明け直後の練習試合に徹夜のまま臨む
さて、テストが終われば大会まで残り1週間程度です。しかし、それだけ余裕があるのはA高校がほぼ毎年シード権を獲得し、2回戦からの出場となっているからであり、もし、シード権を逃していると、テスト後、即大会ということもありえます。
ただ、僕が所属していた年は、幸いにして大会緒戦まで余裕があったので、テスト最終日に調整の意味を込めた練習試合が組まれていました。午前中はテストをこなし、午後からの試合。その試合に向かうのは、大会にベンチ入りする18人とスコアラーの僕だけです。しかも、相手は我がA高校と同じく、ベスト4~8には勝ち進んでくる強豪とのこと。最後の大会に向け、いよいよ臨戦態勢に突入です!
・・・が、この日僕はすでに徹夜して30時間を超えていました。今にして思えば、徹夜ほど非効率な勉強法はないと思うのですが、当時は諦めが悪く、一夜漬けでテストに臨んでいたのです。ただ、僕は1軍メンバーとは言え、試合に出ることはありません。まぁなんとかなるだろうと思っていたのです。若さゆえですね。
しかし、この日は真夏日どころか猛暑日の気温37度!容赦なく照りつける太陽のもとでの試合は、レギュラーでなくとも酷でした。試合は両者互角の引き分け。大会に向けて、良い調整になりました。さぁ、これで今日は終わり。早く帰って寝なければ・・・。
ところが、ここで帰らせてはくれません!この日の試合は、両校が球場を貸し切っての試合でした。球場の使用時間が残っていたらしく、監督同士の申し合わせで「残り2時間ほど練習しよう」ということに!僕は大会では試合に出ることはありませんが、18人の1軍メンバーに帯同していることには変わりません。
こうして、猛暑日、寝不足のなか、1軍レベルに混じって練習に加わることになりました。それ以降のことはよく覚えていませんが、あんな状態でよく怪我をせずに乗り越えたなと思います。