有望選手とその他大勢 【ありがとうマンモス野球部3】

今からおよそ10年前、僕は西日本にあるA高校の野球部に所属する野球少年でした。全国に数多ある野球部と同じように練習し、同じように甲子園を目指していましたが、少しだけ、他校とは違う特徴がありました。母校は明治時代創部の伝統校、部員数は毎年100人を超すというマンモス野球部だったのです。このシリーズでは、そんな僕のマンモス野球部ライフを紹介していきたいと思います。

120人超の部員の名前と特徴を暗記する監督

 P監督は人の名前と特徴を覚えるのがやたらと速く、保護者などが集まった入部説明会などでは、生徒一人一人を監督自ら紹介するというのが恒例でした。紹介される方はどんな言葉で紹介されるのか気にしながら、P監督の声に耳を傾けます。

 有名クラブチーム出身もいれば、無名中学の野球部出身や、野球未経験者まで。入学さえできれば簡単に入部できた野球部なので、色んな生徒が集まります。それでも、「全国大会で準優勝した4番!」「中学時代は生徒会長!」「中学時代は自ら卓球部を立ち上げた起業家!」など、生徒たち最大の実績をきちんと覚えてくれているので、素直に凄いなと感心していました。

 しかし、中には「最寄駅は○○駅!」「得意料理はカレーライス!」「5人兄弟の末っ子!」など、野球部員としては誇りにくい特徴で紹介されるパターンもありました。紹介される方は、

「俺、そんなの(監督に)ひと言も喋ってないのに!」

と苦笑い。こういった情報は一体どこで仕入れていたのでしょうか。未だにわかりません。

鳴り物入りの外部生

 母校・A高校は中・高・大の一貫校で、120人の野球部も内部進学する内部生と、他所の中学校から受験する外部生とに分かれました。中・高・大とエスカレーター式で進学できたA高校ですが、 高校において戦力になるのは、ほとんどが他所の中学から入学してくる外部生でした。

 しかし、そんな外部生の中でも、入部当初から目立つ、目立たないという差が出てきました。

 中学野球には学校外のチームにて高校野球と同じ硬式球でプレーしていた生徒(硬式あがり)と、中学校の部活で軟式球でプレーしていた生徒(軟式あがり)とに分かれます。一概には言い切れませんが、やはり同じ種類のボールを使っていたぶん、硬式あがりの生徒の方がレベルが高めに見られがちでした。入部直後は中学時代の実績が高いほど、上級生に混じった練習や、練習試合に呼ばれていた印象があります。

硬式あがり(実績あり) > 硬式あがり(実績なし) ≧ 軟式あがり(実績なし) > 軟式あがり(実績なし)

これくらい、扱いには差があった印象です。例えば僕は中学時代、軟式あがりながら地元で有名なピッチャーからヒットを打ち、県大会で3位になった経験があるので、実績だけはありました。

不遇の内部生

 さて、そんな有望選手の入学が面白くないのが内部生です。付属中学にももちろん野球部があり、付属中学もまた結構な大所帯。ところが、付属中学の野球部は例年それほど強くなく、あまり注目されていなかったのです。

 中学までは、学校の看板を背負って最前線で野球をしていた彼らも、高校に進学した途端、よそ者ばかりがチヤホヤされる 環境に変わります。また、監督が動き回ってかき集めた外部生と違い、内部進学で入部してくるので、思い入れが違ったのかもしれません。

 やはりしばらくは外部生の方が出番にも恵まれ、内部生の方が我慢を強いられていた気がします。また、外部生と内部生が打ち解けるまでにも、やや時間を要した気がします。

でも最後は実力がモノを言う

 ここまで述べると、いろいろな事情でチャンスが不均等にも見えます。たしかにその側面もありました。しかし、結局最後には実力がモノを言います。

  例えば僕は、軟式あがりながら実績だけはありました。ところが、実績と実力が必ず しもイコールではありません。僕の場合、入部当初は出番も比較的多かったのですが、出場した試合で徐々にメッキが剥がれ、いつしか試合に出る機会も減ってしまい ました。一方、入部当時は見向きもされなかった内部生が、数少ない試合で印象的な活躍を見せつけ、最後にはレギュラーメンバーに加わっていた例もありま す。

 大所帯の野球部ゆえにチャンスは不平等ですが、最後の決め手はやはり実力なのです。