マンモス野球部の厳しい現実 【ありがとうマンモス野球部1】

今からおよそ10年前、僕は西日本にあるA高校の野球部に所属する野球少年でした。全国に数多ある野球部と同じように練習し、同じように甲子園を目指していましたが、少しだけ、他校とは違う特徴がありました。母校は明治時代創部の伝統校、部員数は毎年100人を超すというマンモス野球部だったのです。このシリーズでは、そんな僕のマンモス野球部ライフを紹介していきたいと思います。

市外はもちろん、隣県からも生徒が通う野球部

 僕の所属していた野球部は部員数が常時100人を超えるマンモス野球部でした。毎年県予選ベスト8付近の常連でそこそこ強かったこと、大学の付属高校だったので受験を気にせず野球ができたことが、生徒を集める要因だった気がします。

 僕が所属していた3年間に限れば、3学年合わせると常に120人を超えていました。1学年あたりで言えば部員は40人前後。およそ900人の全校生徒に対して約120人の野球部ですから、9人に1人以上は野球部という計算になります。女子のいない男子校でしたが、それでも学校一の部員数だったのは言うまでもありません。 私学ということもあり、市外はおろか県外からも生徒が集まりました。学校周辺の交通機関が充実していたとは言え、寮生なしで120人ですから相当な規模だと思います。中には新幹線通学をする、離島から船と電車を乗り継いで通うというツワモノもいました。

野球部のスペースだけ、人口密度が異常

 当たり前の話ですが、野球は9人で行うスポーツです。控え選手を含めたとしても、ベンチには18人しか座れません。それに対して120人の部員がいるわけですから、競争率の激しさが伺えると思います。 もちろん、毎日の練習だって容易ではありません。学校のグラウンドはかなりの広さを誇りましたが、その広いグラウンドを部活ごとに均等に割り当てていました。そのため、どう見ても野球部のスペースだけ、人口密度が異常なのです。

 唯一、全員で行う練習が最初のアップ(ランニング、ストレッチなど)でした。特に最初のランニングは圧巻で、4列で並んだとしても、最大で1列30人近い長さに伸びるわけです。あまりにもむさくるしいので、この時ばかりは他の部活が羨ましいなと思っていました。

遠投、バッティングができるのは限られた選手だけ

 そんなぎゅうぎゅう詰めのグラウンドですから、部員全員が満足に練習できるなんてことはありえません。勝ってナンボの高校野球ですからチャンスは実力者に多く回ってくるのです。 例えばグラウンドを広く使う練習と言えば、遠投やバッティングが挙げられます。これらは3年生とレギュラー候補の下級生のみに与えられたメニューでした。遠投も、バッティングも、よく飛ばす奴は90~110mにも及ぶので、120人もの人数が同時にできるはずもありません。

 それでも3年生になれば、多少まともな練習をさせてもらえるだけ、まだ救いがあったと思います。

その他大勢は我慢の連続

 逆に言えば、レギュラーとは無縁であるその他大勢の下級生は、2年間、我慢の連続です。レギュラー候補が練習する間、それ以外は球拾いをするか、学園の敷地を走らされるのです。

 野球部のエリア外では他の部が練習しています。野球部のせいで怪我を負わせてしまっては大変ですので、球拾いを務める者はしっかりカバーしなければなりません。ただ、この球拾いだけで10人近くいました。本来3人で守る外野の周りを10人でカバーするわけですから、完全に持て余しています。 球拾い以外のメンバーはよく走らされました。長い距離を延々と走るので、球拾いよりは練習している気になれます。ひとつ、残念だったのは、コーチ陣や監督はそんな彼らを一切見ていないということ。みんなレギュラー陣に付きっきりですからアピールにもなりません。

 ここで腐らずに取り組む奴もいれば、適当にサボる奴もいましたが、良くも悪くも厳しい現実を学べた気がします。

練習時間が短い

 そんな練習も19時前には終了していました。放課後からの時間を考えれば3時間弱程度。強豪校でなくとも、倍以上練習する学校だって珍しくありません。ただ、これは遠方から通学する生徒への配慮。片道2時間以上かかる生徒もいたので、短めの練習でちょうど良かったようです。

 また、チームとしての練習は少ないわりに、大会ではいつも上位に進出していました。やはり、マンモス野球部ゆえに粒ぞろいのチームだったのかなぁと思います。