海辺の地をゆく「石巻市・雄勝」2013年1月30日

壊れたままの防潮扉をとおって、海沿いの住宅地だった場所を歩くと、がれきが撤去された民家跡地に硯の破片が見つかります。かつて工人たちがひとつひとつ手で彫った硯の残骸です。

中にはかなり原形をとどめているものも見つかります。

震災の後、たくさんのボランティアたちが、地元の人たちと一緒に流された硯を拾い集めたそうです。泥だらけの硯を丁寧に水洗いし、損傷の少ないものを修理したものが、雄勝地区の復興のために利用されています。硯製作の技術を伝えるべき工人たちのほとんどがこの地を去った雄勝では、若手が一人前になるまでの時間をつないでいくために、奇跡的に生き返った硯が活用されているのです。(関連ページ⇒雄勝硯生産販売協同組合)

そして、ようやく陸に上がった船のところまでたどり着きました。

豊かな美しい自然。破壊された町で進み始めた解体作業。伝統工芸の記憶が残された住宅跡地。一言で表現するなどできっこないさまざまな状況が、ゆっくりと、あるいは急速に進んでいます。これが震災から691日目の姿です。雄勝への道のりは多くのことを考えさせられる小旅行でした。

しかし最後に、もうひとつ謎が浮かび上がったのです。

それは陸に上がった船のこと。この船がある場所、少し変だと思いませんか。岸壁は荷卸しなどの作業がしやすいようにかさ上げされた、あきらかに震災後に建設されたものです。工事をする際には、周辺のがれきなどは撤去します。岸壁工事には重機やクレーン、コンクリートミキサー車など大型の機械が使われるので、邪魔なものがあると工事の妨げになるからです。この船がある場所はどうも不自然なのです。

船の方をよく見てみると、たしかに艤装の一部に破損はありますが、船体そのものには大きな損傷や汚れがありません。これまでにも、ほとんど無傷のまま陸地まで流された船を何隻か見たことがありますが、例外なく津波で流されたゴミとしかいいようのないものや漁網などでぐちゃぐちゃに汚れていました。

どうにも腑に落ちないなあと思っていたら、意外なことが判明。この船はここではなくて、遠く離れた別の場所で陸に上がった船だったのです。そのことがわかったきっかけは、jenniferさんのブログ。2012年1月16日の記事に掲載された写真に、まさに陸に上がったこの船が写されていました。漁船の登録番号も同じですから同じ船に間違いありません。

jenniferさんのブログによると、1年前にこの船があったその場所は、牡鹿半島狐崎浜。同じ石巻市とはいうものの雄勝から海で行くなら、雄勝湾を抜けて女川沖の出島に至り、女川湾を横切って牡鹿半島を南下、金華山から牡鹿半島の西側に回りこみ鮎川を過ぎ、網地島や田代島も過ぎたさらにその先です。かなりの距離があります。

この船、宝龍丸は津波で遠く狐崎まで流されたのち、陸路を運ばれ帰ってきて、雄勝の浜から海に戻る時を待っているのか。あるいはこの浜に買い取られて運ばれてきたものなのか。そして何より心配なのは、船の主はどうしているのかということです。

雄勝への旅の最後に、浮上した大きな謎。今後の宿題として調査を続行します。

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)