「子どもたちは何人帰って来ているの?」女川町新田地区の仮設住宅の駐車場で、炊き出しの焼き肉丼を作っていたら、背後の仮設の窓が開いて元気な女性の声が響いた。仮設住宅の集会場だと思い込んでいた建物は女川町の福祉仮設住宅(仮設グループホーム)で、声の主は町からの委託を受けて施設を運営する「ぱんぷきん介護センター」の住吉いづみさんだった。被災地での福祉サービスはどうなっているのか。仮設住宅にはどんな問題があるのだろうか。仮設と仮設グループホームにある課題について住吉さんに聞いた。
被災した町で福祉の仕事が減少しているという現実
――仮設グループホームとはどんな施設なのですか? 避難所が閉鎖になって、仮設住宅への入居が進んでいますが、中には1人で仮設で生活するのが困難な方もいらっしゃいます。そのような方の受け入れと、町内のヘルパーサービスの拠点となっているのがこの施設で、町内ではここだけです。 グループホームですので、寝たきりの方などの介護を行う施設ではありません。避難していらした方の中で、仮設住宅に入って1人で生活していくのは困難だけど、日常生活は自立して行える方の「見守り」を行う施設なのです。
以前は女川町にも複数の福祉施設があり、私自身も杉楽苑という小規模多機能ホームで働いていました。もちろん、寝たきりの方など要介護度の高い方も多くいらっしゃいました。しかし、震災で町全体が大きな被害を受けたことで、介護が必要な方が女川町で生活していくことは実質的に困難になってしまったのです。 ほとんどの方は登米市など近隣の施設に移られたり、ご家族の方と県外に引っ越されたりしたので、いま女川町では介護のニーズ自体が減少しています。以前は200人から300人の方に介護サービスを提供してきましたが、今ではヘルパーの仕事自体がほとんどない状況です。私たちの事業所としても実はたいへん苦しい状況なのです。
――高齢化が進む地域で重要性が高まっているはずの福祉の仕事が、震災の影響で苦しい状況に置かれている。これから町が復興していく時に、介護の必要な方やそのご家族にとって住みにくい町になってしまうとしたら、地域として大きな課題ですね。 仮設住宅への入居が進んで行く中で、新たに見えてくる問題もあります。仮設住宅に入居したものの、お1人で生活して行くのが困難だと判明するケースが出てきているのです。
「あれっ、あの人は散歩をしているように見えるけど、実は散歩じゃなくて徘徊なのでは」と雰囲気的な行動から気付くことが時々あります。たぶん福祉の専門家でなければ違いは分からないかもしれませんが、そのような方は少なくないと思います。 避難所と違って仮設住宅は外から目が届かないところが多いので、私たちの方でもそういう方を見つけたら、町の包括支援センターと連携するなど心がけています。
――炊き出しの時の子どもたちへの声掛け同様、同じ敷地内で生活する多くの人たちに目を配っていらっしゃるのですね。
【用語解説】仮設住宅という言葉は2つの意味で使われている。ひとつは抽選によって入居することができる2Kとか1DKなど仮設の住まいそのもの。もうひとつは、仮設住宅が何棟かまとまって建てられた、いわば仮設住宅の団地といった意味だ。「新田の仮設住宅」といった場合は後者を意味している。女川町では大きな仮設で200世帯以上、小さな仮設では世帯数一桁とさまざまな規模の仮設が混在している。
生活環境の変化が心のありように影響
――仮設に入ってから徘徊が始まるケースを教えていただきましたが、そこにはどんな背景があるのでしょうか。 長く生活してきた集落の中にいると、何をするにしても周りは知り合いばかり。そのおかげで表面化することのなかった認知症の兆候が、コミュニティを離れたことで表に出てきたということもあるでしょう。
避難所には、まだ同じ集落出身の人たちがいますが、仮設住宅では抽選でばらばらに入居することがほとんどです。もともとお元気だったのに、仮設に入ったことで周囲の支えを失って、生活リズムの変化や不安から精神的に不安定になってしまう方もいらっしゃると思います。 ――抽選だから仕方がないとはいうものの、仮設住宅に入居する際に、以前生活していた地域性を配慮することができないのでしょうか。
場所によっては地域の人がまとまって入居している仮設もあるようです。ほんの数カ所かですけどね。やっぱり、そういうところでは、近所づきあいも継続しているし、身近な情報も入ってきやすいので、仮設全体がうまく行っていると聞きますね。 認知症の方や高齢者に限らず、仮設にはさまざまの地域出身の方がばらばらに入ってくるので、新しいコミュニティを立ち上げて行くことは、どこの仮設住宅にも共通する課題だと思います。
たとえば、ここ新田地区の仮設住宅には、町の中心部の人もいますし、半島の集落から避難してきた人、離島から入居してきた人など、女川町の広い範囲から人々が集まっています。比較的小規模な仮設なので、もともと顔見知りだったという人は少ないと思います。しかも、10月からの入居だったので、新田の仮設住宅としての地域の集まりができるまでには、もう少し時間がかかるかもしれません。 その点、川を挟んだお隣の清水地区の仮設住宅は、世帯数も多いですし、住民にボランティア精神にあふれる方が多いようなので、地域としての盛り上がりを感じます。活動的な人の多い仮設では、外から入ってくる情報の量も増えるので、ますます活性化するのでしょう。そんな仮設による情報格差のようなものが生じてきているのも感じますね。
――被害の状況を見ると、復興までの道はまだ遠いと感じます。ということは、仮設住宅である程度長い期間生活することになる方が多くなる。仮設のコミュニティの立ち上げはますます重要ですね。 集まって情報交換をするきっかけとして、炊き出しなどのボランティア活動をしていただくことはとても効果的だと思います。ただ、参加するのはだいたい同じ顔ぶれで、なかなか出てこない人、ほとんど引き籠っている人もいるのです。
町の方でも、仮設住宅にお住まいの方、とくに独居の方などを中心に訪問活動を行っています。私たちも同じ新田地区仮設住宅という場所で活動しているのですから、地域の一員として声掛けや見守りなどに力を入れて行きたいと思っています。 ただ、残念なことに「あそこは施設だから仮設ではない」という意識もあるようなのです。もっと私たちの存在をアピールして、住民の皆さんにいつでも遊びに来てもらえるような場所にしていきたいと考えています。
――仮設グループホームのロビーが地域の皆さんの交流の場としても活用されるといいですね。今日はありがとうございました。
新田地区仮設住宅の敷地内に女川町が設置した福祉仮設住宅(仮設グループホーム)運営のかたわら、仮設住宅に入居している住民の生活にも目を配る。10月から入居が始まった新田地区仮設住宅では、まだ「地域の連携」が十分ではないと心配している。仮設に暮らす人たちが自分の家に引きこもってしまわないために、ご近所への声掛けに力を入れている。
編集後記
福祉サービスは利用者がいてはじめて成り立つものです。震災で多くの命が失われたのみならず、要介護度の高い人たちは被災した女川に住み続けることができず移転。地域の人口減少はあらゆる産業にとって復興への足かせとなりますが、漁業や水産加工業とともに、女川町の重要な産業であった福祉も、苦境に立たされているのです。全国的に高齢化が進む現在、被災地の高齢者福祉事業が抱える問題について、さらに取材を続ける必要性を実感しました。(2011年11月18日取材)
取材・構成:井上良太(JP21)