釣りの醍醐味ってなんだろうか。ひと口に釣りと言っても、おそらく色々な楽しみ方があるはずだ。例えば、忍耐を利かせてじっとかかるのを待つこと。竿を変え、糸を変え、エサを変え、大物を狙うために工夫を凝らすこと。もしくは魚がエサをつつく様子を感じ取り、タイミングよく一気に釣り上げること。様々だろう。
そんなことを考えたとき、これは同じ“釣り”ながら、まったく別のスポーツだ!そう思った。
「ペットボトルは釣竿、発泡スチロールはかばん」?
海が人気の南国、小笠原諸島・父島。僕は2008年に半年ほどの長期滞在をしていた。すでに島の“泳いでおくべきポイント”をひと通り経験していた僕。島の滞在日数も長くなると、毎日を焦って「泳がなきゃ!」と思わなくなってしまう。滞在日数の短めなお客さんらが忙しなく海へ出かける中、僕は本を片手に展望台へ登ったり、そこら辺に自生しているグアバの実を食べ歩いたりと、のんびりした過ごし方を好んでいた。
しかし、泳ぐことに対してそこまでの熱意がない僕でも目を奪われたものがあった。それが「泳ぎ釣り」だった。そう、その名のとおり、泳ぎながら釣りをするのだ。いったい誰がやり始めたのかはわからないが、滞在も4~5か月が経過した頃に初めて見たわけだから、小笠原でも流行っている様子は感じられない。
◆◆◆
島の常連のとあるお客さん(僕は勝手に「兄貴」と呼んでいる)が、スーパーの魚売り場から発泡スチロールのケースを持って帰ってきた。かと思うと、大人しくゴソゴソ何やら仕込んでいるではないか。発泡スチロールのケースにたこ糸を通し、金具のようなものを括りつけている。さらにそれとは別に、空の500mlペットボトルにたこ糸を取り付けている。超大型の糸電話でも作るつもりだろうか。
僕が質問をすると兄貴は待ってましたとばかりに説明をしてくれた。「ペットボトルは釣竿、発泡スチロールはかばん」だと言う。「潜りながら、魚がエサを食う瞬間を見ながら釣れる」と言う。つまりペットボトルから糸を垂らし、魚がエサを食ったらペットボトルを回して糸を引き上げるというのだ。 見てのとおり、仕掛けはペットボトルにたこ糸、重りに釣り針、そしてエサ。水に浮く発泡スチロールには釣り針の予備や糸を切るはさみ、エサなどのストックなど。なるほど!まったく誰が考えたのやら。だんだん辻褄があってくると、無性にやりたくなってきた。
泳ぎ釣りに行こう!
次の日、兄貴に付いて宮の浜海岸へ。シュノーケリングスポットとしてメッカ的存在だが、ここで魚を釣るなんて誰が思うだろうか。海には似つかわしくない発泡スチロールを引っ張りながら海へ。そう言えば、普段泳ぐときは当然手ぶらなので、「泳ぎながら何かを持ち運ぶ」なんていう感覚も何だか不思議かも知れない。 そして、兄貴が「穴場」だというポイントに着く。それぞれ、「伊●園」「サン●リー」「K●RIN」製の釣竿(ペットボトル)を持ってスタンバイ。狙いは島ではアカバ(アカハタ)と呼ばれる高級魚。
「岩場の陰なんかにいるよ」というアドバイスを参考に、まずはアカバを探す。一度ぐっと深く潜ってアカバを見つけると、今までただ眺めるだけで見飽きていた海の景色が違って見えてくる(思えばこれも贅沢な話です)。アカバの動きをじっくり観察しながらエサのイカ付きの針を垂らしていく。 何が面白いって、全身を使って釣り上げるワケである。魚が変な動きをしようものなら、こっちも身体を動かしてその動きを追うのだ。さすがに人間は呼吸に限界があるが、それでも魚と同化した気分になる。陸から海を見たところで、何やらちまちまとやっているようにうしか見えないだろう。しかし、海の中は意外なほどにダイナミックなのだ。なんて言うか、「これは同じ“釣り”ながら、まったく別のスポーツだ!」
発泡スチロールも大活躍だ。魚が捕れれば発泡スチロール箱へ。エサが無くなれば発泡スチロール箱へ。糸が切れれば発泡スチロール箱へ。どうしてこんな遊びを考え付くのだろうかと、海の中でひとり感動してしまう。 そうこうしているとある程度釣れてきた。釣れた魚は糸に引っ張られながら一緒に泳ぐことになる。「犬の散歩か!」声にならない声が水中で漏れる。これもなんだか不思議な光景だ。
釣れたアカバ(や、それ以外の魚たち)は宿で調理してもらった。先に述べたようにアカバは高級魚。1kgで2000円くらいはするそうだ。それに対してこちらは空いたペットボトル、もらいものの発泡スチロール箱。若干お金がかかったとしてもたかだか知れている。支出よりも収入の方が多かったのではないだろうか。島の遊びなんて、軒並み4000~5000円、高ければ10000円とかかる。それを思えばなんともリーズナブルだ。
こうして僕は、海へ出かける頻度が少し増えた。