それから数日、渡波小学校の体育館で過ごしました。シートを敷いた上に座って、寒いからみんなで背中を寄せ合って。食べ物もない。暖をとる手段もない。上空をヘリコプターは飛び回るけど、降りられる場所がないからどっかに行っちゃう。ようやく自衛隊が入って来たのは、空でも陸でもなくて海からだったって聞いています。
避難所にいた時には地震からずいぶん時間がたった後でもブルーシートに包まれて出ていかれる人がたくさんいましたよ。震災関連死っていうんですね。私たちは3月25日に埼玉に避難して、その後横須賀に移ったんですが、厳しい状況は長く続いたようですよ。
※奥さんのお母さんが避難されたのは、伊去波夜和氣命神社 (いこはやわけのみことじんじゃ)。
石巻市渡波地区の大宮町にある神社で、通称「明神社」と呼ばれ、漁業や海上の安全、製塩の神様として信仰を集めているそうです。
カフェ ら・めーる ◆ 石巻市松原町2-19 ◆ TEL:0225-98-7345 ◆ OPEN 11:00~17:00 ◆ 定休日:日・月曜日
次のページでは「ここから離れようと考えたことは?」とあえて尋ねます
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)
ここから離れようって考えたこと? 全然ないね。
マスターの佐野さんは断言します。奥さんも続けて、
たしかに周りの家がなくなって、海がこんなに近かったんだってことは思ったけど、ここから離れようとは思わなかったわね。だって、小さい頃は堤防なんかまるっきりなくて、家からそのまま走って海に行けたのよ。
石巻は海といっしょに発展してきた町なんだから、いまさら海を離れるなんてできないんじゃないかな。海水浴でたくさんの人が集まっていたくらいきれいな海がここにはある。そして美味しい魚がある。それが当り前でみんな暮らしてきたんだから。
移住してきたマスターもまったくの同意見らしい。
津波で大変な目に遭ったけど、でもこれまで人間はこの土地でずっと昔から生活してきたんです。地震が来たら逃げるが勝ち。危ない時には避難する。うまく逃げのびて、そして落ち着いたらまた戻ってくる。その繰り返しで人々はこの土地で生きてきたんじゃないかな。
まだ戻ってきている人は多くないけど、これからだんだん人は増えてくるだろう。その時に、やっぱり座り込んでだべる場所があるといい。ここはそのための場所なんです。
被災地の多くの場所で高台移転の話を聞く。もう海を見たくないという人も少なくないという。海辺に生活の場を再建するなんてもってのほか、という意見もある。それでも佐野さんご夫婦の話を聞いていると、佐野さんたちのような生き方も「あり」だと思う。それくらいお二人は明るくて、パワフルで、前向きだった。
◆
お話の途中で、「目標はあと5年、よね」と奥さんがマスターに語りかけた。悠々自適を求めて移り住んだ(奥さんにとっては戻ってきた)場所。あと何年くらいここでカフェを続けるかという話だ。
思わず「5年ですか!」と声が出てしまった。被災地の復旧は5年を目標になんて言われているが、誰もそんな話を信じてはいない。まあ10年はかかるだろうとか、15年か20年か、さらにもっとかかるかという声もある。「もっとがんばって下さいよ」と言うと、
「この人次第ね」と奥さんは目配せした。
マスターは苦笑のような微笑のような、ちょっと複雑な表情でやさしく目を輝かせた。
きっと大丈夫。仙台からの60kmを徒歩で帰ってきたくらいのマスターのことだ。復活に向けて活動する人たちのいこいの場として、カフェ ら・めーるは渡波の海のそばに生き続けることだろう。
本文の締めくくりに、カフェ ら・めーるに飾られていた三好達治の詩をご紹介。タイトルは『郷愁』。(左右2枚を続けてひとつの詩です)
カフェ ら・めーる ◆ 石巻市松原町2-19 ◆ TEL:0225-98-7345 ◆ OPEN 11:00~17:00 ◆ 定休日:日・月曜日
●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)