東日本大震災・復興支援リポート 「仙台平野で津波の高さを想像してみる」

2012年10月22日の山元町

宮城県南部、仙台平野が広々と広がる山元町。亘理町との境界近くに山寺泥沼と呼ばれる場所があります。いまでは大型ダンプなどの“はたらくクルマ”がひっきりなしに走り回り、普通乗用車で走るのが気が引けるほど。この場所は海から750メートルほど内陸に入っています。

この踏切の近くでは、北海道から東京へ向かっていたJRの貨物列車が津波で流されました。運転士は幸い無事で、運輸安全委員会によると、線路から2メートル以上の津波高だったと報告されたそうです。

当日の津波高については、南泥沼踏切から1.5キロほど北東方向にある山元町牛橋海水浴場で10.7メートルという観測データもあります(山元町と亘理町を管轄するJAみやぎ亘理農業協同組合)。

津波の高さが2メートルか10メートル超かでは、ずいぶん大きな違いがあるように思えますが、はたしてどうなのでしょう。

2メートルなら写真の大型ダンプの運転席シートくらいの高さです。10メートルだと後ろに見える電柱くらいの高さになります。

でも、問題は、たとえ2メートルでも人の背丈よりもはるかに高いということです。

津波の高さが5分の1になったからといって被害が5分の1になるわけではありません。

※秋田県や青森県などで多くの津波被害者を出した日本海中部地震(1983年)の被害状況の映像解析などから、50センチほどの高さの津波で人間は立っていられなくなることが明らかになっています。※10メートルを超えるような津波に流されて生還した人もいます。しかし、ほとんどの人が残念ながら生きて帰ることができなかったことを忘れてはなりません。

踏切の幅だけ残された線路

仙台平野を襲った津波は、常磐線の線路にも被害を及ぼしました。いま残っているのは踏切の部分くらいなものです。線路があった場所はバラス(石)も流され、雑草が生い茂る道になっています。

周辺の住宅地からは、いまでは電気機関車も瓦礫も撤去されましたが、平坦な土地がどこまでも続く景色には、かえって津波の恐ろしさを感じさせられます。

地震の当日のヘリコプター映像、黒い水が仙台平野の田んぼや畑、そして建物や逃げようとする車を次々と呑み込んでいく映像、忘れてはいないでしょう?

何もなくなった住宅地に、珍しくブロック塀が残されていました。

写真を撮った後に気付いたのですが、新しく立てられた電柱には、住宅用に電気を下ろす分岐設備も、トランスなどの変電装置も何もついていません。

いつか誰かが帰ってくるだろうから、立てられた電柱。いつ誰が帰ってくるか分からないから、ただ立てられただけの電柱。

※この電柱の高さが10メートルだとすると(電柱の高さは一般的に地表から8~13メートルほどです)、この通りにもほぼ同じ高さの津波が押し寄せてきたのかもしれません。それもプールの水のようなものではなく、家や車など、大きくて硬くて重たいものが混ざり合い、激しい勢いであらゆるものを巻き込んでいく水のかたまりが。

想像してみましょう。  ――もしも自分がそこに立っていたとしたら?

●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)