ミース・ファン・デル・ローエ

ミース・ファン・デル・ローエとポストモダン

近代建築三代巨匠のひとり(あとの二人はル・コルビュジエとフランク・ロイド・ライト)に数えられるミース・ファン・デル・ローエ。ドイツのアーヘンに生まれ、その後ナチスを逃れアメリカに渡った建築家です。有名な作品には、「バルセロナ・パビリオン」、「ファンズワース邸」などがありますが、建築に興味がある人以外は、名前を聞いただけでぱっと建物の姿が思い浮かぶことはないかもしれません。

バルセロナ・パビリオンは鉄とガラス、そして大理石の壁で平面的に構成された平屋根の建物。ファンズワース邸も四方がガラス張りの平屋根・平面構成の建物。ちょっとお洒落な印象はあっても、現在の感覚からすればありきたりに思えるような、強いて言うならオーソドックスな建物です。しかし、それぞれ造られたのは1929年と1950年。19世紀末からのアールヌーボー、20世紀に入ってからのアールデコと表現様式は変わっても、いずれにせよ装飾過多な建築物から余計な飾りものを取り去って、合理的で機能性の美「モダニズム建築」を生み出した、記念碑的存在なのです。

超高層ビルの基本スタイル

ミース・ファン・デル・ローエの業績を端的に示しているのは、ニューヨークのパークアベニュー沿いにある超高層ビル「シーグラムビル(1958年)」かもしれません。エンパイヤステートビルやクライスラービルのように、上の階に行くほどフロア面積が減じて、最上部が尖塔のように細くなった建物が摩天楼の一般的なスタイルだった時代に建造された、シンプルな直方体の高層ビルです。もちろん壁面などに装飾はありません。鋼鉄のフレームで構成され、外壁はガラスをぶら下げるカーテンウォールという構造。各フロアは用途に応じて自由に仕切りを入れられるなど、現在の高層ビルのスタンダードと言える機能性が追求された建築です。

シーグラムビル以降、超高層ビルのスタイルは一変しました。モダニズムの思想に基づく機能的なビルが、世界中で建設されていくことになったのです。「アメリカ合衆国国家歴史登録財」に登録された理由も、そんな「時代を画する」存在だからに他なりません。しかし、機能性を追求したモダニズム建築が増えていくと、都市があまりにも味気なくなるといった批判から「ポストモダン建築」の運動が起こります。「ポスト」では、モダニズムで否定された装飾や象徴性の回復を唱えます。

日本でも大江戸温泉物語湯屋日光霧降を設計しているポストモダンの建築家、ロバート・ヴェンチューリは、ミースの標語 「より少ないことは豊かなこと(Less is more)」 をもじって 「より少ないことは退屈だ(Less is bore)」と言ったそうです。余分なものを削り落した先に美を見出そうとしたミース・ファン・デル・ローエたち前の時代の建築に逆行し、個性や設計者の主張を表現しようとしたポストモダンの建築家たち。たしかに、奇抜な建築、ユニークな装飾を持った建築は増えて行きましたが、彼らの仕事は「景観論争」という新たな問題を引き起こすことにもつながっていったのです。