自閉っ子の「オモテの顔」と「ウラの顔」

特別支援学校や放課後等デイサービスとやりとりしている連絡帳を読んでいると「え!ウチの子ってそんなことができるの?」と驚くことがあります。

低学年の頃には「イスに座っていられた」だけでもじゅうぶん驚いたものですが、その後も報告される驚きの「できた」の数々を知るにつけて思うことは

「親がいる時といない時は、違う顔」

だということです。

「サボる」のは楽しい?

「脱いだ靴を下駄箱に入れる」
「靴を下駄箱から出す」
「絵本やおもちゃをしまう」

などを「外ではやるのに家ではやらない」ことについては「最終的には親がやってくれる、と知っている」ので「サボっている」ことになります。

ただし学校やデイから帰ってきた直後は「やるスイッチ」が残っているのか、やってくれることもあります。娘にしてみれば「ついやっちゃった」ぐらいの感じでしょうかw。

最重度の知的障害を持っている娘に「サボる」という感覚はあるのか。それが「楽」とか「気持ちいい」につながっているのかどうか。

推し量ることはできませんが、モノを放り投げる時も、親の「片づけて」の声を無視する時も笑っていることが多いので、やっぱり「サボってる」し「楽しい」んだと思います。あいつめ!

「サボる姿」は一級品

「できる姿」が想像できない!

参観日や生活発表会は親の姿が見えてしまうし、放課後等デイサービスの施設内に親が入るのは迎えに行く時だけ。

隔週で通っている「OT(Occupational Therapy=作業療法)」もわたしたち親がすぐそばにいる。なので、「課題に取り組めました」とか「落ち着いて待つことができました」などなど学校やデイの連絡帳に書かれている「できる姿」を見ることがありません。だからわたしもママも「想像できない!」とよく言っています。

そんな娘のウラの顔、もとい「できる姿」を見ることができるのが、学校からの「お便り」や放課後等デイサービスのHPに掲載されている娘の写真です(わが家は娘の写真の掲載についてOKを出しています)。

「取り組む姿」が面白すぎる

そこには「一生懸命なにかに取り組んでいる(風の)娘の姿」があります。

先生たちが「いいところ」を出してくださっていることもあるとは思いますが、娘が、ちゃんと座って、1点を見つめて、両手を使って何かに取り組んでいる…食べること以外で!

そんな「ありえない姿」を見ると、わたしもママも声を出して笑ってしまいます。あの、甘えん坊で尊大で傍若無人で独善的でドSな娘が、何かに「取り組んでいる姿」が「新鮮すぎる」を通り越しちゃって面白すぎるのです。

と同時に「外ではがんばってるんだな」としみじみ思い、休日はつい甘やかしてしまうというわけです。きのうもワルかったんですよー(^_^;)。

下半身は逃げようとしてますね