「ローラー滑り台を滑りたいよう!」
我が家の息子が突然そんなことを言い出しました。
どうやら、部屋の隅にしまっていたプラスチックのそりを見つけたのがその原因。
ばあばの家の近くの公園に大きなローラー滑り台があって、昔そのそりで良く滑って遊んでいたのを思い出したようです。
早速ローラー滑り台がある公園を探すことに。どうせなら長い滑り台を、と色々見たところ横浜の三ツ沢公園にあることが分かりました。(横浜で一番長い、と紹介しているサイトもありました)
三ツ沢公園と言えばJリーグ横浜FCの本拠地があるところ。家からも近くて何度か足も運んだことがあったのですが、ローラー滑り台なんて見た記憶がありません。
とりあえずみんなで行ってみることにしました。
滑り台に向かう道中見かけたものは?
三ツ沢公園に到着後、園内マップをチェックします。
よくみると一番奥に「子供の遊び場」という場所があるではありませんか。そんなに奥に遊び場が・・・チェックが甘かったと反省しながらそちらに向かっていったところ、なにやら巨大なオブジェを発見しました。
オブジェ左わきにある説明書きによると、これは西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者のために建てられた慰霊碑とのこと。
戦争は「ここ横浜にもあった」ことを忘れてはいけない
第二次世界大戦ではここ横浜も大空襲にあっていて、昭和20(1945)年5月29日の横浜大空襲では約1万人の方が命を落としたとも言われています。
この近くに越してきてもう何年も経ちますが、恥ずかしながら初めてその慰霊碑の存在を知りました。
子供達もこの大きな塔がなにか気になっていた様子だったので説明し、みんなでお祈りをしたうえでしばしこの慰霊碑を眺めました。
私は父親が広島出身で、帰省の際はよく平和公園に足を運んだものです。一方、母方の祖母は生まれも育ちも横浜で、こちらの祖母の方が家も近いこともあり良く会いました。ただ、横浜の祖母と「戦争の体験」はあまり、というかまったく結びつかないことにふと気が付きました。それは広島の資料館で見た「戦争」というものがあまりにも強烈だったから、どうしても戦争と聞いて結びつくのが広島の祖父母だったのかもしれません。
当たり前のことですが、広島、長崎に限らずあの時代を生きた人はみな戦争を体験していて必死で生き抜いてくれた人たちです。その人たちが生きてくれたおかげで今の自分たちが存在しています。
広島には父、祖父母のお墓参りのためにもまたいずれ行く予定で、その際には平和公園で子供達とお祈りをしてこようと思っていますが、ここ横浜でもご先祖様に感謝することを怠ってはいけないな、と気づかされました。
今ある平和が当たり前のものではない、ということを忘れないためにも、たまに足を運ぼうと思います。
この公園に「連れてきてくれた」息子に感謝です。