とりあえず坐ってみよう(2)

前回のとおり、まず土日の朝に坐禅会が行われているお寺をインターネットで探し、電話で開催の有無を確認しました。

自分:「坐禅会に参加したいのですがどうすればいいでしょうか。」
お寺の方:「6時20分から始まるので、それまでにお越しください。初めての方でしたら最初に少し説明します。」
とのこと。

予約は必要ないお寺の方が比較的多いので、初めてでも気軽に参加できます。
朝の坐禅会は大体6時~8時台の開始が一般的。(朝のおつとめにあわせて一部5時台から開始する会もあります)

※もし、寝坊してしまった場合はあきらめて次の坐禅会にリベンジしたほうが望ましいと思います。

いよいよ当日

当日、いつも通りの時間に目が覚めました。身支度を短時間で済まし、お寺に向かいます。お寺は自宅から車で20分程度。道中は心なしか軽やかに運転できているような気がしました。

駐車場に車を停めて、早速境内へ。
こちらのお寺は坐禅会が行われている道場の入り口に案内が書かれているのでわかりやすかったです。お寺によっては全く書かれていない場合もあるので、もしそのお寺自体の訪問が初めてであれば事前に道場について細かく確認しておくことをおすすめします。

玄関に入ると奥からお経が聞こえてきます。実はこちらのお寺では5時台からすでに暁天坐禅(朝一に行われる坐禅)済まされ、その後の読経の最中でした。6時20分から2度目の坐禅、そして休日のみ特別に最後にもう一度坐禅を行うという流れです。

そして読経が終わり、2度目の坐禅から合流。初めて参加する場合、住職さんから最初に説明を受けます。

玄関から坐禅堂に歩いて廊下を進みましたが、早速ご指摘を受けました。

「手をふらふらと動かせて歩いてはいけません。」

道場の中を歩く際は、叉手(さしゅ)という手の構えをしながら歩きます。(親指を見せないように握った左手を右の手のひらで覆い、両手を胸に当てながら進んでいきます。

叉手(さしゅ)とは中国をはじめ東アジアに伝わる所作である。貴人をはじめ神仏などへの敬意の所作であり、立った姿勢で両手を胸のまえで重ねるようにして表す。

引用元:叉手 - Wikipedia

ご指摘を受けた通りに叉手の状態で廊下を歩き、禅室(坐禅をする部屋)に移動。朝一から参加していた方々(6名程度)がすでに決められた位置に着いていました。

読経のあとから参加するのは自分だけ。新参者ということでもしかしたら、冷ややか視線を向けられるのではないかと若干心配しましたが、その必要はありませんでした。良い意味であっさりしているというか、各々ただ坐って終わったら帰るだけ。コミュニティ的な要素は薄く、その点では人見知りの方でも安心です(笑)。

部屋に入ってまず合掌しながら低頭(頭を下げて礼をする)。時計回りに進み、住職さんに言われた位置に着きます。坐る前に隣の人、向かいの人にも合掌しながら低頭。

今回参加したのは「曹洞宗」という宗派の坐禅会です。曹洞宗の坐禅は部屋の壁に向いて行います。

臨済宗の坐禅が人と向かい合って坐禅を行うのに対して、曹洞宗では禅を組むときは、壁に向かって禅を組みます。これを「面壁坐禅(めんぺきざぜん)」と呼びます。

引用元:【仏教解説】曹洞宗とは?歴史や教え、お経など (2019年2月6日) - エキサイトニュース(2/4)

臨済宗のように坐る人同士で向かい合う形とは異なり、壁しか視界に入らなくなるので、個人的にはこちらの方が好みです。

宗派によって坐禅に対する考え方も異なります。
ただ、住職さんに「宗派によって坐禅にどんな違いがあるのか?」と聞いたところ、

住職さん:「自分と向き合うという意味では共通しています。特に宗派は気にせずに取り組まれたら良いと思います。」

とのことでした。

曹洞宗の坐禅は“ただ”坐ることに重きを置いています。

事前の心構えなど、特別意識しておくことはないと思います。

「効果を得るためにはどうすれば良いだろう。」
「坐禅の意味を感じられなかったらどうしよう。」

このような心配事も不要。難しく考えずにただ坐れば良いとのことでした。

一通り説明を受けた後、1度目の坐禅(40分間)が始まります。
“ただ”坐るというシンプルな教えだからこその難しさを痛感。様々な試練が待ち受けていました…。

次回に続く。