階段は途中からもげて消失しています。
カーブミラーでしょうか。流され折れ曲がっています。
民家の外壁も流されてしまいました。手前の民家の裏にももしかしたら民家があったのかもしれません。今は何もない状態です。
巨石と言えるような石が流れついていました。その奥には無数の大きな石が土砂とともに流れてきたことが分かります。
このお宅も外壁が濁流で削られています。
家が倒れ潰れてしまいました。住民の方が無事であることを祈ります。
ソファーもどちらかのお宅から流されてしまったようです。おうちに帰れずここでお役目を終えます。どんな気持ちなのでしょうか。物にも心があると私は思います。
現場近くまで来ました。ここで手を合わせます。
私にも同年代の息子がいます。亡くなった高校生の母親も同年代です。
私がお母様のお立場であれば、何度も、何度でも、神様に祈り願います。
『どうか神様、私の命と引き換えに息子を助けて欲しい、お願いです、神様どうか息子を助けて』・・・と。
今、どんなにお辛いお気持ちでいらっしゃるかと、なぜ守れなかったのかとご自分を責めていらっしゃるのでは・・・出口のない苦しみの中にいらっしゃるのではないか・・・胸が張り裂けそうです。
繰り返される災害の中で私たちは未来へどんなバトン渡すのか
今回被害の大きかった岡山県真備町、広島県福山市、広島県安芸区をまわり、災害の恐ろしさはもちろん、命の意味と真正面に向き合うことができました。そしてとても悲しく辛い感情がこみ上げました。そのあとには悔しさと共に、絶対にもう誰も死なせないという思いとエネルギーが湧き上がります。
私のような者に何ができるのか、思いだけで何を変えられるのか。
いや、私だからできることが必ずある、この思いがあるからこそできることが必ずある。
歴史の中で繰り返される災害、自分を守ることは災害の恐ろしさから目をそむけないことだと思う。漠然と恐れるのではなく、土地々々の災害の歴史を知り、それを伝えること、危険性が高いエリアや危険ヶ所の構造を知ること、風化させないこと、意識の高い防災力、大丈夫だろうから逃げなきゃの変化・・・未来の命をつなげる行動はたくさんある。
そして、今ある何気ない日常を大切にていねいに日々を重ねて、ささいな幸せに包まれながら、命の意味を感じて生きていくこと、目の前にある身近で当たり前にある幸せを感じることで心の豊かさや余裕を生み、未来の子どもたちが笑顔で生きていけるような思考へほんの少しシフトできる。そしてほんの少しの意識と行動の変化が広まれば、災害も乗り越える社会にできると思う。
風化させない。小さな命、高校生の命、亡くなった方々221名の全ての命を絶対に無駄にしない。
FBかどこかでチラッと見かけて心に突き刺さった言葉。
「昨日亡くなった者が、どんなに生きたいと願った今日を、あなたはどう生きますか。」
前を向いて、未来を守る。この手に持ったバトン、回す明日へ。