我が家の食育

我が家では「食事=命を頂くこと」と子供たちに教えています。

お肉もお魚も野菜もお米もみんな命。

「死んじゃうなんてかわいそう」、息子は度々こんな言葉を口にします。その度に「死んじゃうんじゃなくて今度はあなたの体の中で生きるんだよ。だから自分の体は一人のものじゃないから大事にしなくちゃね」と言い聞かせます。

「自分の一部になって体を支えてくれてありがとう」。そういう感謝の気持ちで食事をしてほしい、それが私の想いです。

自分で育てて食べる

自分の体を作るものが、どんな風にできるのかを知ることはとても大切だと思い、食育は今の家に越してきた時から始めました。

庭にブルーベリーの木を植え、いちごの苗を植えました。花が咲いて、実がなって、完熟したら採って食べる。大人にとっては当たり前のプロセスですが、子供にとっては初めて経験することです。食いしん坊の息子はこの頃から果樹に魅了されるようになりました(笑)

2歳の頃には原木シイタケを栽培しました。まさかこの体験がこんなにも息子に影響するなんて、この時は思いもしませんでした。

魚を取って食べる

最近釣りに興味をもった息子を、じいじが「やまめ平」に連れて行ってくれました。1時間の間にやまめを12匹も釣り上げたそうです。

この時、じいじが生きた魚の頭をたたきお腹を割いて腸を出し、塩をふって櫛に刺し、火を起こして焼いてくれたそうです。

息子は「おなかをきったのにまだ生きてた!」と興奮気味に話してくれました。焼いた魚は持ち帰って家族で食べたのですが、ちゃんと「魚さんありがとう」と言って食べていました。

釣りは楽しかった反面、葛藤もあったようです。最後にはぽそっと「やっぱり川にかえした方がよかったのかな。次はそうしようかな」と呟いていました。

命の大切さ、尊さを学ぶ

こういう体験は食育だけでなく、命の大切さ、尊さを学ぶいい機会だと思いました。

夏にセミを捕まえること、秋にトンボを捕まえること。大人は可哀そうだからと逃がしてしまいがちですが、こういう小さな命のやり取りをすることで、どうやったら生きられるのか、どうして死んでしまうのか、大事な部分も育てられるような気がします。小さな生き物だからといって命の尊さは私たち人間と何の変わりもありません。

以前、ある小学校でこんな命の授業があったようです。太陽と空飛いう名前がつけられた2匹の豚を毎日お世話をさせて、最後に愛着の湧いた太陽と空飛を出荷するか生徒に選択させる。太陽と空飛はお肉になって戻ってきます。生徒たちは泣きながら太陽と空飛を食べて命の尊さを学びます。

この授業は賛否両論あったようですが、命を頂くとはどういうことかを考え、生と死と向き合う上でとても大切なことだと感じました。

残念ながら日本は1人あたりの食料廃棄量が世界一だそうです。必要な命だけを必要な分だけ頂くことを食育を通じて学び、このような社会を変えていく必要があるように思います。