この空がある限り

連凧が空に飛び立っていく。バサッ、バサバサッ。整頓して格納された箱の中から繰り出されるわずかの時間ですらもどかしいののか、凧たちは次々と飛び立っていく。繰り出す手が追いつかないほど。

3月11日14時46分、7年前の地震発生時に合わせた黙祷が「直れ」となった次の瞬間から、白い凧が赤い緒をなびかせて青い空に吸い込まれていった。

「最初の1、2枚さえうまっく揚がってくれれば、揚がった凧が後続の凧を引っ張ってどんどん揚がってくれっからさ」

黙祷が終わり、「さあ、お願いします!」とハンドマイクから大きな声が聞こえてきたとき、毎回参加しているというベテランから聞いたそんな言葉を思い出してちょっとビビった。でも、こっちの緊張なんてお構いなし。凧たちは自分の意志で空へと舞い上がっていく。

2025枚。

陸前高田市、大船渡市、住田町の犠牲者の数だけの凧が青空に羽ばたいた。亡くなった人たちの数の凧が、空と大地を結んだ。

勢いよく飛び立っていった凧たちは、すべてが揚がった後にはすっかり落ち着いた様子で空を泳いでいる。なにしろ高田松原があった場所に造られた高い防潮堤の上だもの、海風は強く、凧糸を押さえる手はかじかむのだけれど、空に上がった凧たちは悠然として空にある。

昨年はじめて来てくれたゴスペル隊が、今年も大勢でやって来て、防潮堤の上に並んで歌ってくれている。

真東か東南東くらいからの海風に乗った連凧は、かさ上げ工事中の造成地や山を切り開いた新しい住宅地、昨年オープンした商業施設アバッセたかた、そして慰霊式典が行われている新しい体育館の方に向かって連なっている。ゴスペル隊の祈りの歌声も、凧と一緒の同じ方向に風に乗って響いていく。

慰霊式典の会場では、弔辞が述べられたり献花が行われたりしているのだろう。その会場から海に向かって真っすぐ行った海岸線との交点で、連凧が空とこの地面とを結んでいる。

繰り出すときには2人ペアだったが、凧が空に上がった後にはひとりが凧糸を押さえていれば足りる。お隣や、そのまたお隣で凧を揚げている人と話をする余裕も出てくる。

「全部揚がってますよね、全部、全部ですよね。よかった」という人がいる。

「青い空に連なる凧が神々しくて、もう何と言ったらいいのか…」と話してくれた人の目は真っ赤。

「凧を伝って、空の上の人たちが降りてきてくれそう」「んだよ、きっと降りてきてくれてるって」「だよね」「んだ、んだ」そう語り合っている親子がいる。

歌い続けるゴスペル隊の目も真っ赤。

空に羽ばたく凧たちの音が声のように聞こえてくる。

祈り。海。陸。そして空。

7年前のあの日、そしていま。

7年前のあの日より前の日々、そして明日。明日から続いていくであろう日々。

気仙天旗 仙風会「天旗祈願祭」

――慰霊と鎮魂、そして決意の凧揚げを始める前のこと、主催者の佐藤博さんは参加者を前にして、言葉を詰まらせた。「7年前のこの日、この場所で…」

こうべを振るって佐藤さんは続けた。「地震は、津波は、いつ起きるか分かりません。凧を揚げている最中に大地震に教われることもあるかもしれません。そのときは、すぐに避難してください。凧を放り出して、とにかく高台に逃げてください」

そして、こうも言った。「本日、凧を揚げる場所は防潮堤の上です。ヘルメットを着用してもらっているように、ここは危険な場所です。そして本日は、小さなお子さんも参加してくれています。子どもたちに危険のないように、周囲の大人の皆さんがしっかり注意して下さい」

過去といまと未来はつながっている。だからこその佐藤さんたちの言葉だった。言葉だけじゃない。ここに生きてあるということが、過去と未来とを、いまという時で結んでいる。連凧が空と地上を結んだのと同じことだ。

――連凧を格納した段ボール箱だけでなく、もっとずっと揚げていたかったという思いも抱えて、高い高い防潮堤から長い長いスロープを降りて来た凧揚げ参加者に対して、主催者の皆さんが深く頭を下げて「ありがとうございました」と言った。

慰霊と鎮魂、そして決意の凧揚げに参加させてもらった人たちも深く深く思いを込めて「ありがとうございました」とお礼を言った。強風に涙を散らして歌ってくれたゴスペル隊の人たちが降りてくると、「ありがとうございました」「また来てね」「また来ます」「ありがとう」「こちらこそありがとう」と、たくさんの言葉、たくさんの同じ思いが飛び交った。

14時46分の黙祷、凧揚げ開始、ゴスペル隊の歌声、空を舞う凧、撤収、そして日は傾き、夜になり、明日……、と「いま」は少しずつ進んでいく。進んでいきながらも、その時々で「いま」は過去と未来を結んでいく。

7年前の14時46分から刻まれてきた時間の先にいまがある。7年前の14時46分よりも以前から刻まれていた時間の先にある「いま」でもある。

いまや空に連凧はない。連凧は段ボール箱に格納されている。それでも空には風の音。風の音のどこかから連凧のあの声が聞こえてくる。

――後で聞いた話だが、凧は主催者代表の佐藤さんが1年かけて、1枚1枚調整しているのだとか。今年は去年にも増して、スムーズに凧が上がりましたねと言葉を交わしていたときのことだ。「会長が1人でやってしまうから、手伝わせてもらえないのさ」と奥さん(事務局でもある)は笑った。凧はただ風に乗って揚がったわけではないのだ。

この空がある限り、凧たちの声を忘れることはない。「いま」という時が流れるように進んでいっても、この声が消えることはない。「いま」というこの時がある限り。この空がある限り、連凧はあの日の思いを抱いて青空を駆ける。